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「頑張ろう」じゃなくて「そのままでいいよ」て。
2024年は仕事ばかりの1年でした。いや、ここ2、3年ずっとな気がする。
自分にも、他者にも、「もっと」「もっと」を言い続けた日々だったように思います。
そんな風に走り続けていると、年の瀬のタイミングでどっと疲れが押し寄せてくるもの。まさに、ちょっと疲れている。
自分が本来持っていたような、優しさとかと人を安心させる雰囲気とか、ここ数年で失われてしまったのではないか。
noteに言葉を綴ろうとすると、「いや、そうじゃないだろうと」と別の言葉が出てくる。終わりのない会話を続けているとあっという間に日が暮れてしまって終わってしまうこともしばしば。
本当に書きたかったことは何だったんだろうか
自分とは、Pocoとは何だったのだろうか
そんなことを思っていたら、今年は数回しか投稿ができなかった。
それなのに、久しぶりの投稿にも関わらず温かいコメントを頂けたフォロワーさんには心からありがとうを伝えたいです。
ここに帰ってきてもいいんだ
そう思えたことが、どれだけ救いになっただろう。
温かいココアを、注いでくれた気持ちにしてくれただろう。
Pocoらしさをなくしてしまった。今までのような言葉を書くことができず、アカウントを消すことも考えていたのに、約束もしていない待ち合わせがあったことがどれだけ支えになってくれていただろう。僕の書く言葉や考え方が好きだと伝えてくれたことが、どれだけの色彩を帯びてここに届いていたことか。
コメントではなく、文通をさせていただいたような、そんな優しさでした。
大切に読ませていただいています。
noteを自分の思考の発信ツールとして使っていたけれど、ゆるく繋がるための場所と捉えてもいいのかもしれない、なんて思いました。
noteを超えて手を差し伸べてくれる方も何人かいらっしゃっていて、その度に自分は臆病なので、やんわりとそろーとお断りを入れていたのですが、どこか引っかかるものがありました。
noteも自分にとってはひとつの居場所。自分の中で世界の一部。ここでの繋がりも自分に新しい視点やきっかけを貰えていること。
考えてでた結論、
文面だけの繋がりだけでよければ
「ホッとひと息できるカフェはありますか」
「部屋に観葉植物を置きたいけど、おすすめはありますか」
「好きな本の話」
などなど、文面だけの決して速度を求めないコミュニケーションだったらいいかもしれない。期間を決めてゆるく繋がっていいのかもしれないなと。
少々こわいのですが、世界と積極的に繋がる挑戦をしてもいいのかもしれないなんて、自分らしくない考えがふと出てきます。
noteにそういった機能があるのか分かっていないのですが、あれば活用してみたい。
*
世界の動きは激しくて
付いて行かなきゃと必死で
どこか心を置き去りにしながらも
体だけは前進できるように
必要最低限の栄養
休暇というメンテナンスを行なって
走っていく
それくらいに世界の速度は早い
社会性とビジネスの両立は本当に難しいし
建前と本音は社会を生きる上で必要で
変わり続けていく自分と周りを車窓から眺めるように
ただ、日々が過ぎていく
ただただ、過ぎていく日々だけど
桜と葉桜のバトンリレーや
甘梅雨に濡れた網戸の雫の美しさ
金木犀が届けてくれる香りの宅配便
来年は、それらを見逃さない1年にしていきたい
最後に今年聞いた曲のおすすめをこちらに。
季節にはまだ早いですが、この一節が好きでずっとリピートしています。
そういう止まり木に自分も在りたいと。
ほとんどもう破綻している世界において
いまだ狂わずにいるその影が
揺らいでばっかのこの道の先で
どれほど光だったかもしれない
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