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成長という言葉がどうか縛りになりませんように。
4月はスピードが加速したいく時期。
だからでしょうか。
「今年こそは!」
「新しい事を始めたい」
「もっと頑張らなきゃ」
そんな声が周りで聞こえてくる。いい事だと思うし、そのままその人が在りたい方向へ進んでくれたらいいと思う。
だけど、そのエンジンのかけ方が心配な人がたまにいる。自分の耐久速度を知らずにかけ続けてしまう人。当然、限界を超えたら機械だって、人だって壊れてしまう。
何故、頑張り続けてしまうのか。
そこには「成長」という2文字が絡んでいる気がする。成功ではなく、成長。
成長て言葉はちょっとずるい。
子供の頃からこの言葉で励まされてきた人は少なくないと思う。なんだか成長できていないと、生きている価値がないというような流れもある気がするし、常に成長できているか?を問われているような風潮もある気がする。
とても誤解されてしまいそうだけど、決して成長が悪いと言っている訳じゃない。
ただ、成長を目的にしてしまうのが危険な気がして。
成長てたぶん過程の話だと思うから。成長を目的に添えてしまうと、いつまでも成長を追い続ける終わりなき旅路が始まってしまう気がするから。
成長を目的に掲げてエンジンをかけた車は、どこかが故障するまで止まらない。
そうやってどんどん自分が何に向かって頑張っているのかを見失ってしまった人を何人か見てきた。
春は何を始めるのに、凄く素敵な季節だと思うし、今しかない春を全力で感じてほしいと思う。
だけど、どうか自分が成長する理由を覚えていてほしい。正直、成長しなくたっていいし、退化したっていい。
全然いいと思う。
成長て、生きる上ではあまり重要ではないと思うから。個人的に。
だから、どうか成長という言葉が縛りになりまぜように。
そのままでいいと言ってくれる人たちが増えますように。
そんなお話。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
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