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ロシアのウクライナ侵略がトルコ旅記事に与える影響など (エッセイ)

情報が正しく伝わっている世界のほとんどを怒りに巻き込んだロシアのウクライナ侵略が始まったのは、これとはまったく対照的に、ある個人がNote1周年の連絡を受けた翌々日でした。

「マルマラ海……」のシリーズを終えたら投稿ペースダウン、とそこに書き、かつそのつもりでしたが、こんな状況で《結婚式》の話題には入れない。それは、読者だけでなく、書かれる側も望まないだろう、と思うのです。
下の記事(↓)は既に用意済みのものでしたが。

それは単に《お祝い事》と《侵略戦争》の相性の悪さだけではなく、前者の舞台であるトルコと後者の現場である、ロシア・ウクライナの関係からでもあります。

トルコ(オスマン帝国)とロシア(帝国)は、歴史的に黒海を挟んで対峙してきた関係です。
黒海がほぼオスマン帝国の内海であった時代から、両者は実に12回ものいわゆる《露土戦争》を戦った。もっともよく知られているのは、1853年から56年のクリミア戦争で、イギリスの看護師・ナイチンゲールが従軍したことでも知られています。
クリミア半島など、南方に進出したいロシアが黒海沿岸確保を目指して戦ったり、オスマン領だったバルカン半島の国々のスラブ民族独立を、ロシアが助けるために軍を出した戦いもあります。
(ロシアが東欧諸国を《子分》のように考えているのはこうした経緯もあるでしょう)

その後、トルコは共和国として再出発し、政教分離、アルファベットの使用など、西欧化を進めてきました。旧ソ連への警戒から、非欧米国家として唯一のNATO加盟国でもあります。

けれど、20年近く前にエルドアンという人物が首相になり、続いて大統領に就任した頃から、権力の集中、メディアやネットでの言論の規制、政敵の拘束や非合法化など、強権的政治を徐々に進めてきました。
クルド民族居住地に対する空爆など、独裁者のやり方に近づいています。
議院内閣制だったトルコを、行政府大統領制に変更し、自らに権力が集中する体制にしました。
独裁者どうしは仲良しになるのか、NATO加盟国にもかかわらず中国やロシアからミサイルを購入し、欧米から警戒されています。

プーチンがロシア帝国の《ツァーリ(皇帝)》のようにふるまっている、という人がいます。
エルドアンについても、オスマン帝国時代の《スルタン(皇帝)》になろうとしている、と指摘する声もあります。
どちらも、形式的には民主的な選挙で選ばれた大統領です。

そうしたトルコの現状を心配している国民は多く、けれど、メディア・コントロールもあってエルドアン大統領は大衆から一定の人気もあります。

今回の侵略戦争を見ていると、トルコについては、独裁者への道を歩みつつあるのかもしれない人のことを書かずに、個人的な旅のことばかり書くのはどうだろう、とも思うのです。

とりとめのない話になってしまいました。
国連は、今回のような個別で緊急の紛争案件に声を上げることはもちろん必要ですが、地球上の独裁者地図を整備し(尺度を作り、危険度を色分けして、全世界に警鐘を鳴らす)、常に作り変えていく長い取り組みも必要だと思うのです。

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