紅(黄?)葉の栗駒山で《三途の川》を歩いて渡ってきた (山で★深読み)
今回は《街》ではありません。
せっかくの秋なので紅葉の中にどっぷり身を置きたいと、岩手・秋田の山に登ってきました。
といっても、本格的《登山》というほどではなく、《ハイキング》との中間ぐらいでしょうか。
旅の2日目に岩手側から《栗駒山》に、そして3日目に《秋田駒ケ岳》に、いずれも少々《キセル》をしつつ、一応山頂(強風で寒かった!)まで登りました。上下合わせて4時間程度のコースです。
《アタマ》の中は高校時代のワンゲル部員のまま、《カラダ》はジジイになったことを十分認識していなかったりするので、事前のself-brain-washing(ジジイになってる、ジジイになってる、ジジイになってる……)をしっかりやって出かけました。
岩手・秋田・宮城の三県境に位置し、山形側からも登山道がある栗駒山は、紅葉というより黄色が目立つ山でしたが、点在するナナカマドの実が《黄》に《紅》の彩を添えています。
さて、山頂から須川温泉までの下り道、幅5メートルほど、深さは登山靴が浸るほどの浅い川を渡りました。靴が濡れないように石を伝うと、かえって滑りそうな浅瀬です。
渡り終えて標識を見ると、《三途の川》と書いてあります。
「おっと、それとは知らず、うっかり渡ってしまったな、どちらが彼岸(あの世)でどちらが此岸(この世)だったのだろうか」
などと呟きつつ、さらに道をくだり、ところどころ壊れかけて不安な《名残ヶ原》の《木道》を歩き、硫黄の匂いが漂う須川温泉側に下りてきました。
このエピソードをnoteに書くために《三途の川》の写真を拡大していたところ、標識の横の岩の上に、五円玉が置いてあるのを《発見》しました!
写真を撮った時には、長く続く下りで疲れ果てていたこともあり、気付かなかった!
(うーむ。これは、例の《三途の川を渡るための渡し賃》に間違いなかろう、渡し賃は《六文銭》と聞いていたが、同じ穴があいている五円玉で、それも1枚で済ませようというのか?)
(俺は《渡し賃》を置かなかったが……)
しかし、調べてみると、《三途の川》の渡り方には3通りあり、《罪のない善人》は楽々渡れるのだそうです。罪人はその重さによって《渡河の難度》が変わるのだとか。
でも、一神教の信者がほとんどいない今の日本で、まったく《罪のない善人》に分類されて《うれしい!》と思う人がどれくらいいるのでしょうか?
しかも、《三途の川》には、懸衣翁と奪衣婆という夫婦の係員がいて、六文銭を持たない罪人が川を渡ろうとすると、賃料の代わりに死者の衣服を剥ぎ取ってしまうのだそうだ。
「……むしろ、こいつらこそ、とんでもないな……」
などと思う、秋の夜更けでした。
この後は……