【石橋を叩いて渡る】(新釈ことわざ辞典)記事版
「そんな人とつきあっちゃだめよ!」
「どうせうまくいかないから、やめた方がいいわよ!」
人生の石橋をことごとく強打し続け、頑丈だった橋を崩落させ、周りの人を渡河不能に追い込む人がいます。
むしろ【石橋も叩いて壊す】テロリスト級おせっかい。
誰かが渡ろうとしている橋を親切心(?)から代わって叩いてくれる奇特な人、世の中に結構います。
《善意》で叩いてくださるのですから、もちろん文句は言えません。
「善意で言ってるのよ!」
「善意から代わって叩いて確かめてあげているのよ!」
《善意》は無敵です。そして、《善意》ほど怖いものもありません。
「地獄への道は善意で舗装されている」
”The road to hell is paved with good intentions”
欧州のことわざです。
明らかな「悪意」は撥ねつけることができますが、「善意」を拒むのは難しい。
でも、「善意」の動機は一体、何でしょうか?
助けたいから? 破滅から救いたい?
いや、おそらくは、「善行の施し」が本人にとって《快感》だからだと思います。
そして、「石橋を代わって叩いてあげる」次の展開として、より大きな《快感》が得られるのは、
安全を確かめ、
「大丈夫、通ってもいいよ」
と声をかけることではなく、
《石橋を叩き壊す!》
ことではないでしょうか。
そして、ハアハアと息を荒げながら、
「ほうら、危なかった。この橋は渡らない方がいい」
と告げる。
(……確かめて、本当に良かった。危ないところだった……)
会社勤めをしていた頃、
新規の技術開発提案があると、小さな欠点を見つけてことごとく潰そうとする人がいました。
そして、不思議なことに、その人の不満は同時に、
「新しい提案が少ない。どうなってるんだ!」
でありました。
おそらく、一旦叩き始めた以上、石橋が崩落して誰も渡れなくなるまで叩いて潰した方が、その人個人にとって「安全」なんでしょうね。
中途半端に叩いてゴーサインを出し、無事に渡れた場合は渡った人の成果になるだけだし、
無事に渡れなければ、ゴーサインを出した人の責任になりかねない。
誰も渡れないほどに叩き潰してしまえば、もう誰も、この橋が安全だなんて言えなくなります。
石橋も 強打で壊す テロリスト