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【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】(新釈ことわざ辞典)記事版
・巨人憎けりゃジャビット憎い
・上司憎けりゃ癖まで憎い
など無数に挙げられるのになぜ坊主?;江戸時代の寺請制度で、寺院は幕府の出先機関、僧侶が民衆管理を行う役人的立場でもあり、権力者として憎しみの対象にもなったようです。
明治維新以降、寺請制度は廃止されております。
けれど私たちは、長年の呪縛にまだ囚われているのでしょうね……。
外国人に、
「あなたは仏教徒なのか?」
と尋ねられ、自宅に仏壇はあっても、
「うーん……」
とうなる人、多いでしょうね。
でも、家族が亡くなると、── automatically, ── 檀家となっているお寺に導師役を依頼する。
知人の義父で壇那寺(檀家となった寺院)の住職をひどく嫌っていた人がいました。
「でも、父が亡くなった時、家族はやっぱりそのお坊さんに『導師』役を頼んだのよね」
と知人奥さま。
葬儀で読経を終えた後、その僧侶は、
「故人には私、随分ひどいこと、いろいろ言われました。でも ──」
そして続けて歌うように、
「♬ 死んでしまえば~もう口きけぬ ♬」
と、そこでタイミングよく、
── チーン ──
とお鈴を鳴らしたそうです ── なんだかうれしそうに。
さすがに知人夫妻も呆れたそうですが、その僧侶に導師を依頼した故人長男(知人妻の弟)は、三回忌などの法事も、やはり同じ人物に読経を依頼しているようです。
ところで、私の父も、もともと壇那寺の住職を嫌っていましたが、それに追い打ちをかける不愉快な出来事が母の葬儀でありました。
それでも父は、やがて来る自分の葬儀(結果的に母の6年後)をどうデザインするか、迷っていました。
── 最終的には本人の生前依頼に応え、父の葬儀はその住職抜きで執り行われました。
父の前年に亡くなった私の伯父も、やはり壇那寺の住職を嫌っていたそうです。でもやはり、生前要職にあった彼の葬儀(非常に盛大でした)の導師は、その人が務めました。
さて、先週アップしたことわざ辞典【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】項目に、凡筆堂さんからコメントをいただきました:
いまは坊さんも後継者不足のうえ檀家も減少、しかも信仰心も薄れてきているようで、なんだか気の毒な気もします。
まったくその通りなのですが、他業態の個人商店(と一緒にするな!と叱られそうですが…)に比べれば、その衰退はきわめて緩やかです。
宗教法人の税制に守られていることもあるのでしょうが、やはり、もう存在しない『寺請制度』に、いまだに精神的にしばられている人、多いのでしょうね。
さらに言えば、一般のサービス企業ならば、不人気法人から客が消えて経営が傾く一方で、人気法人にお客が押し寄せ、栄えるはず。
けれど、過去からの『呪縛』ゆえに、檀家の移動は少なく、不人気寺社の衰退が緩やかであるだけでなく、人気寺社の台頭も難しい。
このため、サービスのいい寺と悪い寺の間に差が生じにくく、不人気僧侶がそのフィードバックを感じることも少なく、自分の問題点に気付くこともなく、── 結果的に ── 嫌われ、憎まれる坊主が今も多いのかもしれません。