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会社員でよかったかどうかはわからないけれど
25歳から会社勤めを始めた。
国家公務員になる選択肢もあったが、自分との『相性の悪さ』を感じて企業を選んだ。
その時点で、もう趣味のモノ書きに使う時間はないだろう、と諦めていた。というより、既に結婚していたこともあり、生活の糧を得るための仕事に専念しよう、とモノ書き世界には決別するつもりだった。
実際、研究開発系の仕事は忙しく、残業はほぼ毎日で、土日もどちらか出勤していた。
ところが、どういったいきさつだったか、入社1年目から労組機関誌の編集部員を頼まれ、特集企画を発案したり、裏表紙にごく短い物語などを連載しているうちに、書くことの喜びが再び湧き上がってきた。
そうはいっても、まとまった時間はない。
ただ幸い、
① 年末年始/冬季
② GW/春季
③ 盆休み/夏季
と年に3回のまとまった一斉休暇がある。
その時期に『日常』から『非日常』にトリップして中編小説を書いた。
幸運にもエンタメ系の新人賞を受賞した後、食堂で昼食をとっていると、
「どうするの? 会社、辞めるの?」
と尋ねてくる人もいた ── たいていはそれまで、ほとんど話したことのない人だった。
編集者にはこう言われた。
「あなたは、①刺激の少ない地方都市に住み、②自家用車で会社に通勤し(他の乗客などを観察する機会がない)、③仕事では(営業職や医師のように)人を相手にするのではなく、モノを相手にしている ── 小説家としてはきわめて不利な環境にいる」
ともあれ、二人目の子供が生まれたばかりでもあり、仕事で忙しい『日常』は立ち止まって考える余裕も与えてくれず、会社勤めを止める選択肢を考えることもなかった。
小説を書くという、たったひとりで行う仕事に比べ、会社というのはよくできたチーム組織であり、そこで行われる業務は、(絶え間ない『見直し』の連続により)よくできたシステムに進化している ── そしてさらに進化しつつある、と思う。
そのドライビング・フォースはもちろん、『経済原理』だ。
それに比べて、国政システム ── 特に『行政』と『立法』の双方、それにその両者の関係は、なんて不合理で、しかも不合理のまま硬直化し、まったく見直しが為されないのだろう。そこになぜか、『経済原理』は存在しないかのようだ。
Noteを見ていると、国政に対する不満を書いている人は多い。でも、その多くは、まさに不満の列挙、せいぜい問題点の指摘、にとどまっており、解決策までの提案は少ない。
でもおそらく、完成度が高い(高いだけで、常に新たな問題が生じて新たな方策は必要になるため、『完成』はしていない)会社組織にいた人は、国政に関しても、問題発生の『真因』と『解決策』がある程度見えているのではないか、と思う。
ただし、憲法による制約などがあるため、『解決策』を実行に移すことができるかはまた別の問題ではあるが。
例えば25歳の時に国家公務員の道を選択していたら見えていなかった『景色』があっただろう。
そして、この国の最大の問題は、『よくできた会社組織』と『不合理を放置している国政組織』の間に、人の流れがほとんどないことである。
会社員で良かったと思うのは、会社員であったが故に見えてくる部分がいくつかあった、ということ ── それを活かしていかなくては、と思うのだけれど。
── 日暮れて、道遠し。