煩悩多き身に《Just-like-a-family感覚》は持てない、たぶん (再勉生活)
最近、
「うーむ」
と唸ったのは、夏木凛サマの下記note記事です。
お笑いに従事する《男3+女1》のルームシェアを成功させた秘訣として、《女1》イワクラさんのリーディングにより、見事に《家族状態》を実現した様子が生き生きと描かれています。
(なお、ここで「成功」とは、恋愛トラブルの類を一切生じさせないでメンバーが平和裏に共存していることを言います)
私が唸ったのは、
(1)日本もここまで来たか!
(2)しかし、俺のような《煩悩人間》も、この状況で《家族感覚》は持てるだろうか?
の2点です。ただ、(1)は、どうやら、「日本」ではなく、「イワクラさん」という特異な存在がこのチームを「成功」に導いているようです。
そして、この記事が、ジジイのアタマに、その昔書いた、シェアハウス訪問の《再勉生活》エッセイをよみがえらせてくれました。
以下はほぼ、原文のままです。
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私は米国留学中の3年半、一度も日本に帰らなかったが、妻子はその間に1回、小学校の夏休みに合わせて帰国した。
「今、奥さんいないんでしょ? 私のウチに来て夕食を一緒に食べない?」
同じ大学院の学生(♀;オーストラリア国籍)にそう誘われたのは、確か2年目の夏である。
「え? 2人だけでかい?」
わざわざそう尋ねた深層心理にはなかなか興味深いものがあるが、あまり追求しない方が良さそうである。
「ええ」
彼女が豊かな胸を上下させながら答えるのを、視線の端にとらえながら、私はもちろん、
「いいねえ、ぜひ御馳走になりたいな」
と言った。
彼女は菜食主義者だという噂だったので、精進料理のようなものを食べさせられることは覚悟しなければならなかった。
その家は、町はずれにあり、3階建てに屋根裏部屋のついた《巨大なあばら屋》だった。ポーチのドアに鍵などはかかっておらず、土足でホールに入っていく。
「大きいな。ここに一人で住んでいるのかい?」
「まさか! 友人たちとよ」
「へえ。ソロリティーのようなもの?」
ソロリティー(sororities、for ♀)とフラターニティー(fraternities、for ♂)は、キャンパスにあるΦΣΔ(Phi Sigma Delta)、ΚΣ(Kappa Sigma)といったギリシャ文字の名を持つ建物で、主要な大学に代々続く、元々は社会的エリート層の子女の自治寮だそうである。新入生が入寮する夏やクリスマスには異性の客を迎えて馬鹿騒ぎをするのが習わしになっている。
なお、ソロリティー、フラターニティーの他に、Co-ed(共学)と称する男女共生の自治寮も、稀にあるらしい。
「ああいう、アメリカの坊ちゃん嬢ちゃんのとは違うわ。ここは貧乏な学生がお金出し合って借りているのよ」
「ひとりがひとつのベッドルームってわけだね」
「ええ。ただ、1番上の屋根裏部屋だけはカップルが住んでるの」
「え? 女の子だけじゃないの?」
「今は男が3人、女が4人、プラス、屋根裏のカップル1組ね。もうすぐ女の子がひとり出るから、また誰か募集しなくちゃ」
興味を示した私を連れて彼女は家の中を案内してくれた。他の住人の部屋も勝手に開けて見せてくれる。
「ひとつ、気になることがあるんだけど」
「なあに?」
「バスルームが幾つかあるけど、ここは男用、ここは女専用って、決まっているのかい?」
「いいえ、別に。トイレは近い所を使うし、シャワーは2つあるけど、やっぱりみんな近い所を使ってるかな?」
「じゃあ、例えば君がシャワーを浴びてる所に、他の男がやって来てトイレを使い出すとしたら、嫌じゃないかい?」
私の質問に、彼女は首をすくめ、
「ぜーんぜん、気にしないわ。Just like a family」
と言った。
彼女の作る食事は米と豆をしょうゆ味で炒めたような質素なものだったが、悪くなかった。
「あなた用には肉料理が良かったかしら」
「いや、肉はここではいつも食べてるから、むしろ、こんなのがいいよ。……ところで、君はVegetarianだという噂だけど、ヒンズー教徒のプリヤダシみたいに、宗教的な理由からかい?」
「ううん、違うの。アメリカのコーンは農薬を一杯使って作っているって知ってる? だから私はコーンは一切食べないの。だから、コーンを飼料にしている家畜も食べないのよ」
「なるほど、論理的だ」
食後、私たちはソファに並んで座り、写真雑誌を見ながら話をしていた。そのうちに、このあばら屋の住人たちが三々五々帰ってきて、
「やあ、どうだい」だの、
「メシは食べたかい」だの、
声をかけあっていた。
恋人を連れ帰る住人も、もちろんいた。
(うーむ、しかし……)
すぐ隣にの彼女がかすかに発するフェロモンを嗅ぎなから、私は思った。
(こんな風に男女入り交じって暮らしていて、関係ができちゃったり、別れたり、というような《修羅場》はないのだろうか?)
尋ねてみると、
「うーん、そういう事、ないんじゃないの? だって、just like a familyだもの」
と言うばかりだった。
(まあ、江戸時代の長屋のようなものだと考えればいいのかもしれないな)
と私はここでは一応納得することにした。
キャンパスにある独身寮も、男女に別れているわけではない。
しかし、やはり大学院生仲間であるアンドレア(♀;米国籍)とカール(♂;スイス国籍)が二人で2ベッドルーム(BR)のアパートを借りて暮らしている、と知った時には驚いた。
いや、正確に言うと、一緒に暮らしていること自体に驚いたわけではなく、それにも関わらず、二人の間には何の恋愛関係もなく、それぞれ別の恋人が離れた所にいる、と知って驚いたのである。
2BRというのは、リビングを兼ねたダイニングキッチンが一つ、バスルームが一つ、そしてたいていは鍵のかからない個室が二つあるアパートであり、学生には住居費の節約になる。
通常は男どうし、女どうしの友人で借りることが多いが、もちろん恋人が同棲している場合も多い。携帯の普及していなかった当時、電話はたいてい1台を共有していた。
(ふーむ。これは謎であーる! 例えば、カリフォルニアに住んでるとかいうアンドレアのボーイフレンドは、やきもち焼いたり、疑心暗鬼にならないのだろうか?)
と私は首をかしげつつ、こっそり呟くのだった。
それに対して、若いアメリカの学生たちは、
「そんなに珍しいことじゃないさ。誰とどういう理由で暮らそうと自由さ」
と言う。
「そりゃそうだが……」
本当に気になっていたのは、やきもちの心配ではない。
(そもそも、一緒に住んでいて、その気になってしまうことはないのだろうか? 奴らは勉強ばかりしているようだから、そっち方面には興味がないのだろうか? これも、やはり、《just-like-a-family感覚》なのだろうか?)
私の下世話な興味は尽きることがなかった。
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久しぶりに読み返して、やはり思った:
煩悩の多いこの身には、おそらく、《just-like-a-family感覚》は無理であーる。