屋久島の旅 [2/5] (山で★深読み)
薩摩・大隅両半島と沖縄本島間に点在する島々の中で、特に気になっていた屋久島に出かけ、樹齢千年を超える屋久杉に会ってきました。
「強風で引き返すかも」
鹿児島空港搭乗口のアナウンスに脅されましたが、プロペラ機はなんとか屋久島空港に着陸。
屋久島への航空便は現在、➀鹿児島、➁福岡、➂伊丹の3空港からですが、いずれも同じ機材が屋久島に行って同日に帰る、というパターンです。つまり、強風や豪雨によって屋久島着陸ができないと、その機材を待っていた客は島から出られない、ということになります。
しかも、屋久島は天候が不安定で管制塔がないため、けっこうな頻度で航空便がキャンセルされるのだとか。
屋久島到着後、外観は普通の民家にしか見えないレストラン「かたぎりさん」で昼食。
屋久島でよく獲れる魚は飛魚と鯖。
昼食のメインは《飛魚のひつまぶし》。最後にかけるだし汁はもちろん、飛魚からとった《アゴだし》でした。
昼食後、「屋久島自然園」で屋久杉と人びとの関係史を学びます。
屋久島の人びとはもともとは神が宿ると考えられていた古木を切らなかったそうです。しかし、江戸時代初期に年貢を米で納める代わりに杉の平材を納めるシステムが考案されたそうです。
屋久島は、雨は多いのですが、全島が花崗岩に覆われ、土がほとんどないため栄養に乏しい。このため、杉の成長が極めて遅く、しかも雨に耐えるために、目が細かく樹脂成分の多い板材となり、板葺き屋根の材料として最適だったとのことです。
このあたり、遺伝子の変化ではなく、個体として環境に対応した結果である(らしい)ことに興味を惹かれます。
江戸時代は斧で何日もかけて木を倒し、現地で平材に加工してから人力で担いでおりたそうですが、やがてチェーンソーとトロッコに替わります。
屋久島自然園の庭には、宇宙を体験した杉の種子から芽生えた樹齢22年の杉の木が《宇宙ヤクスギ》と称して育っていました。
しかし、種子を宇宙に持って行った意図はなんだったのだろうか? 無重力空間で何か変化が起きると(科学的な推測のもとに)期待したのか、宇宙線照射効果かな、それとも単に将来の観光の目玉にしようとしたのだろうか?
この後、標高1230 mの高地にある《紀元杉》に会いに行きます。
海沿いの集落は温暖でしたが、さすがにこの地は寒い! 指がかじかみ、手袋を取り出しました。
紀元杉は推定樹齢3000年で、75種類以上の植物(栂、檜、ヤマグルマ、サクラツツジ、シャクナゲなど)がからみついています。
この後は、標高1000 mを超えたところにある《屋久杉ランド》という、何本かの樹齢千年を超える屋久杉を見ることができる自然休養林に出かけました。各種の所要時間メニューがありますが、我々は50分ほどの散策コースを歩きました。
往復22 kmの縄文杉コースは勘弁してくださいよ、という人も、ここを歩けば、ひととおり屋久杉の生態がわかりますよ、というものです。
屋久島は全島が杉のような針葉樹かと思うと大違いで、南の島らしく、多くは常緑広葉樹です。「種」の異なる木々が絡み合ったり、時にほとんど一体化したようなカオスも見かけます。
下記のような、杉の幹にからみつき、まるで《絞め殺そうと》しているような木も見かけます。
いわゆる《寄生》のように養分を取ろうとしているのではなく、《着生》と呼ばれ、杉の木を「支え」にしているだけです。
屋久島には、《アコウ》、《ガジュマル》、《ヤマグルマ》と3種類の「絞め殺し」の木があるそうです。
いくら「寄生じゃないよ」といっても、杉の木は大迷惑しているでしょうね。
50分のハイキングの終点近くにあるのが、この《仏陀杉》です。樹高 21.5m 胸高周囲 8.0m 樹齢は推定 1800年 です。
白山林道にある石徹白の杉とほぼ同年齢というわけです。
容貌魁偉な印象です。長い間生きているとそうなるものか。
宿は3泊とも、空港近くの「まんてん 縄文の宿」です。温泉付きです。
さあ、明日2日目はいよいよ縄文杉。
午前3時起床、4時10分ロビー集合、4時半出発という、鬼のスケジュールです。