宝くじ売り場の《怪》 (街で★深読み)
昨日に続いて、ことわざ「捕らぬ狸の皮算用」がらみです。
以前、《創作型懸賞》に応募する際の「ひと粒で4度美味しい」愉しみを記事にしましたが(↓)、もうひとつの《懸賞》が《「クジ」的懸賞》です。
そして、この《「クジ」的懸賞》の最たるものが、《宝くじ》でしょう。
《創作型懸賞》の4度の美味しさ:
のうち、宝くじの場合は、
①の「戦略」は、ロト6がいいか、やはりドリームジャンボかな、などと、つまりはどの「くじ」にしようか、という程度で、ほとんど作戦の立てようがない。
「連番買い」なんてのも、「期待値」は変わらないのだから、戦略とは言えない。
②は宝くじ売り場でお金を払うだけです。最近は自宅にいながらにしてネットで購入できます。「一瞬」です。
④も、そりゃ、外れ券を引き裂いて抽選会場の関係者を《罵倒》してもいいけれど、非常に空しい。
残るのは、③の「取らぬ狸の皮算用」だけじゃないですか!
もちろん、メリットはあります。
苦労して作品を仕上げたりする《創作型懸賞》応募とは異なり、スーパー前の売り場で百円玉を出すだけ、実に安易に「取らぬ狸の皮算用」に参加できます。
……いやいや。
普段は素通りする、スーパー前の宝くじ売り場ブースを見ていて、おっと、と思いました。
「宝くじ」と書かれた看板の上に、さらに付け足しの看板があります:
うーむ、これは……。
これは、本来、①の「戦略」など存在しないはずの《「クジ」的懸賞》に、過去の実績を掲げることで、
ここで買うと1等3億円が当たりやすいよ!
と《戦略》に関する「印象操作」を行っているのです。
おそらくはこの看板を見て、
「過去にこんなに1等がでているのなら、もうここではしばらく出ないな……」
と考えるより、
「この売り場《ツイてる》かも!」
と思う人が多いに決まっている、とある意味、
《大衆をなめている》
わけです。
《確率》を論じるには、分子(どれだけのクジが当たったか)だけでなく、分母(どれだけのクジがこの売り場で買われたか)を明らかにしなければなりません。
この看板に書かれている《宝くじ》を調べてみました。
「第566回サマージャンボ」は2009年8月でした。
「第587回ドリームジャンボ」は存在せず、どうやら2010年8月の「第587回サマージャンボ」の誤りのようです。
2回とも(後者が単なる名称ミスだとして)、
10年以上も前のことじゃないの!
それを、
「億万長者続々誕生‼」
と表現するとは、
いい度胸じゃねえか!
2011年あたりなら、そう言ってもおかしくないけれど、看板は10年以上雨風にさらされていたとは思えないほど新しい。
私のように、《懸賞》についてきちんと《検証》しようというヒマなジジイは世の中にいない、とタカをくくっているのですな、これは。
Again、
《大衆をなめている》
看板の右端には猫がいます……。
【猫に小判】だ!