マルマラ海沿い街道の旅★2019(1)ふたつの招待
《再勉生活》時代の友人Mが、イスタンブールの大学で教えている。
「もう会社、辞めたんだろ? 早くチャナッカレに来て、俺の家に住めよ。いい所だぞ。その家で小説を書けばいいじゃないか」
3カ月に1回ぐらい、そんな《お誘い》メールが来ていた。
行きたい気持ちは山々だったが、退職後に散発的な仕事が入ったこともあり、なかなか決心がつかない。
そんな時、教え子から、結婚することになったこと、式を故郷のブルサで挙げるので招待したい、との連絡があった。
彼女はトルコで修士課程まで終えた後、日本で工学博士の学位を取り、ドイツの自動車会社でエンジニアとして働いている。相手の男性も、ドイツの会社で、こちらは営業職で働くトルコ人だそうだ。
こちらの《招待》が背中を押した。
「行くよ」
返事をすると、しばらくして、正式な招待状が来た。
そもそも、修士課程の学生だった彼女を私に引き合わせたのがMだったこともあり、M夫妻も式には出席するらしい。
そこで、この機会に、チャナッカレにある、彼の家も訪問し、わずか数日ではあるが、住んでみることにした。
トルコのヨーロッパ側とアジア側(アナトリアと呼称する)とは、黒海と内海であるマルマラ海をつなぐボスボラス海峡、マルマラ海とエーゲ海をつなぐダーダネルス海峡、というふたつの狭い海峡で隔てられている。
地図で見ると、Mの勤める大学からブルサの町までは110 km、ブルサからチャナッカレまでは280 km、鉄道のないトルコでは車で移動するしかなく、結構な移動距離となる。
この旅は、マルマラ海の南沿岸をぐるりと周ることになります。よろしければ、いわゆる《観光地巡り》とは少し異なる景色をお楽しみください。
それにしても、謎なのは、Mの家(チャナッカレ近郊の村)と彼の職場(サバンチ大学)が、400 kmも離れていることです。
次回は、往路で飛行機の乗り継ぎに間に合わず、アブダビのホテルでK-1のスターボクサー夫妻と食卓を囲むことになったエピソードなどを。