Which hand? 《単複無頓着》文化圏の大人をからかうんじゃないよ
米国の大学町で1年間不在の教授宅に《留守番》を兼ねて住んでいた頃の話。
ある日曜日、7歳と5歳の娘たちが、ひとしきり遊び歩いた後、近所の仲間を引き連れて帰ってきた。
「Mom, can we have some snacks?(おやつ、ちょうだい)」
玄関ドアから駆け込むなり、声を上げた。
母親は、
「All right, wash your hand!(手を洗いなさい!)」
と応じる。
すると、一番大柄な女の子が、顔の両側に手を広げて尋ねた。
「Which hand?」
その顔は、いたずらっぽく笑っている。
「Both hand! Of course」
母親が言い返す。
女の子は、
「Oh? Then, both HANDS!」
とわざわざ言い直す。
米国人の彼女は、《Hand》に複数の《s》をきちんと付けない、外国人のオバサンをからかっているのだ。
「『じゃあ、あんた、片手だけ洗ってごらんよ!』と言ってやりたかったわよ、もう!」
日本語は、主語 を省略することがしばしばだが、《Thank you》などを例外として、英語は省略しない。
日本語では、特定の「りんご」なのか、一般論としての「りんご」なのか言葉で区別しないが、英語では、《the apple(s)》、《an apple/apples》と区別する。
そして、英語では、可算名詞はどれくらいの数なのか示そうとする。
数が多くなっても、《several apples》、《many apples》など、名詞の前に《幾つぐらいなのか》を表現する形容詞を付ける。
仕事で英文を書かねばならない時には、単複や冠詞について、いつも考え込む。厄介なこと、この上ない。
これに、複数にはならない不可算名詞もあるので、さらに面倒だ。
この理由として、
《集団で狩りに携わっていた人々にとって、➀獲物の数、➁どの獲物を狙うか(定冠詞the問題)、➂獲れた獲物を幾つに分けるか、が極めて重要だったから》
というような説明をした英語の先生がいたような気もする。
それはともかく、結果として曖昧さが排除され、一般論か個別論かが明らかで、科学技術系の議論に使う言語としては、少なくとも、日本語よりはふさわしい、と思う。
《Which hand?》はもちろん、大人をからかっているわけだが、《単複区別》文化圏の人間にとっては、《Wash your hand》には、実際、違和感があるのだろう。
嵐の「Wash Your Hands」を聞いてみた。
う~ん。確かに《HANDS》と発音しているみたいだね。
「Which hand?」
と突っ込みたかったところだが。