政敵を《ヒトラー》になぞらえる政治家に《卑怯だぞ!》と言わない人たち
またまた自分が気に食わない人や政党をヒトラーになぞらえる政治家が現れました。
小説「帰ってきたヒトラー」について書いた下記のエッセイ(昨年12/20投稿)の終わりに、かつて、政敵となった人物の強引な進め方を、
『まるで、ヒトラーだ』
と公言する政治家がいたことに触れました。
さて、今回の問題は、菅直人衆議院議員が2022年1月21日にTwitterに書いた文章(↓に引用)です。
ここで再度言っておかなければならないのは、私自身は、この発言者および所属政党、さらに、この発言の対象になっている人物および関連政党に対してなんら肩入れもその逆もなく、どの政治家、どの政党に対しても、政策ごとに支持・不支持を考えるタイプの人間である、ということです。
従って、このニュースを目にして、実際にTwitter文を読んだ時には、
「弁舌の巧みさをヒトラーになぞらえるとは、なんて《卑怯な論法》なんだろう」
と、きわめて個人的に、このTwitter文を書いた国会議員を《軽蔑した》だけでした。
引用記事に書いたように、このような記述で大衆を《印象操作》できる、とたかをくくっているのでしょう。この場合は《大衆》ではなく、彼のTwitter記事の《読者》なのかもしれませんね。
日本維新の会はこのツイッター発言に抗議し、発言の撤回と謝罪を求めたそうです(↓日経新聞)。
これに対して、立憲民主党が公的にどう反応するのか、まだわかりません。
ただ、Twitter発言を擁護する人は、
「名誉棄損にあたらない」
「ヒトラーを礼賛しているわけではない」
などと、そして、批判する人は、
「ヒトラーにたとえるなど、国際社会では通用しない」
と非難しているようです。
また、バランスをとっているつもりなのか、
「もっと別の言い方はなかったのか」
などと言っている人もいます。
どうして、誰も、
《卑怯だぞ!》
と言わないんだろうか?
「名誉棄損」とか「国際社会で」という《論理の枠》ではないように思います。
それ以前に、卑怯であり、狡猾さすら感じます。
そして、それは、所属政党にではなく、書いた個人に言うべきことです。
所属政党に対しては、
「我々は、きわめて卑怯な論法だと考えますが、貴党の見解はいかが?」
と《確認》すれば良い。
「もっと別の言い方は……」あるわけないよ!
最初から《印象操作》を狙ってるんだから!
《別の言い方》したら、その効果がなくなるじゃん!
「うっかり筆が滑った」わけでないのは、この国会議員のその後の関連Twitter発言を見ても明らかです。
印象操作自体は、政治家なら大なり小なりやっていることでしょう。
しかし、かつて民族の優位性を唱えてジェノサイドを指揮し、他国を強引に侵略した人間に政敵をなぞらえるのは、きわめて《卑怯な》印象操作です。
たぶん、ですが、みんなが《卑怯だぞ!》と指摘して、初めて撤回・謝罪するのではないでしょうか(しなくてもいいんだけど)。
年齢的に見て、《卑怯》という言葉が通用する人だと思います。
いや、思いたい。
《本題》にはいります(……じゃ、今までのは?)
── ここ20年ほど、心配していることがあります。
《卑怯》という言葉が、この国では《死語》になりつつあるのではないでしょうか。
《卑怯な手を使っても、勝ちゃあいいんだ、勝つことが全てだ》
が「正しい教え」になっていないでしょうか?
この《本題》については、まとめたものがありますので、いずれまた。
(なお、本作は《政治的エッセイ》ではなく、むしろ《文化的エッセイ》です ── 野暮ですが、世の中には《右か左か上か下か》など決めたがる人もいるので……)