知っているだけで防げる不都合はある。【災害体験と教訓】
皆さん、ごきげんよう。
私です(*‘∀‘)
今回はフォロワー様である
ぴてにゃ~氏
のリクエスト記事です(*‘∀‘)
さて、前回こちらの『備蓄食料』に関する記事を書かせて頂きました。
備えあれば、憂いはぶん投げてOK。
そんなわけで今回はその続き『第二弾』ということになりますかね。
防げる不都合は知識と対策次第です。
§1.警戒心を育てる
地震の被災経験の無い方は、
「そんな、ワイの地域でそんなんおこらんやろ~」
「対策?した方が良いと思うけどまだいいかな~」
こんな考えをしている方が大多数いらっしゃるのでは無いのでしょうか?
まあ、ワシもそうだったんだけどな笑
ですが、その時は突然訪れます。
2011年3月11日に起きた『東日本大震災』もそうでした。
いや、正確には
『警戒するタイミングは沢山あったが、麻痺していた。』
というのが正しいでしょうか。
東日本大震災は「いつか起こる」と私は幼少期からTVの専門家の意見をよく耳にしていました。
「あ~いつか起こるんだ、こわいな~(棒)」
20年近くもそんなことを言われ続けてたら、そりゃそう思いますよ笑
「くるくる詐欺やっ!!!」
とさえ思っていました。
東日本大震災が起こる2~3か月前から、震度4~5前後の地震がやたら来ていたのですが、幼少期からの慣れもありましたのでその時も
「あ~はいはい、ワロスワロスww」
なんて思って、大して気にも留めませんでした。
多くの人がそうだったと思います。
そうして多くの人が油断していた中、2011年3月11日にそれは起きました。
東北でも最近地震がやたら多く、
「また近いうち”デカいのが”来たりして。。。。」
なんて思わざるを得なくなります。
東北のあらゆる地域、人々の会話でそのような言葉が飛び交っていると思います。
そして東北以外の地域に住む人たちも、実は他人事では無いのです。
こちらの記事によると、周期的に2030年~2040年に南海トラフ地震が起こる可能性が高いことが書かれています。
被災が想定される主な対象エリアはコチラです。
売国NHKから素材を拝借しました笑
被害は東日本大震災の10倍との意見もありますから、被災した人はただでは済みそうもありません。
私は決して脅している訳ではありません。
起こることは仕方ありませんが、備える事は誰にだってできます。
もしかしたら少し早いかもしれませんし、私たちが生きている間に起こらないかもしれませんけど、当記事がほんの少しでも良いので皆さんの”警戒心を育む”きっかけになればと思います。
とはいえ、あまり不安を煽るようなことはしたくないので、私の経験を交え『どんなことが起こるのか?』をざっくり知って頂ければ幸いです。
§2.震災当時の私
当時私はひとり暮らしのアパートの二階住んでいました。
3月11日の私は日中からPCをガタガタいわしておりました。
何にも面白いことは無い、朝からずーっとPCをイジメてました(*‘∀‘)
そして14時46分(らしい)、とてつもなく大きな地震が突然やってきました。
今までの余震とはくらべものにならない位のクソデカイ地震です。
揺れが凄すぎて、デスクに捕まっていました。
「あ~これヤバいやつや。。。」
そんなことは本能で分かる位の規模でした。
窓から身がぶん投げられるかと思いました笑
地震が一時収まると、家じゅうのあらゆるモノはぶっ倒れ、ぶっ壊れ、撮影用の廃墟のセットが秒で完成しました。
「収まったから大丈夫か。。。」
なんて思いながら、またPCをガタガタいわしていると(ワイのバカ)、近隣の住人らしき人達が私の部屋に向かって「大丈夫か~!!」(的な)大声で呼びかけているのが分かりました。
窓から覗くと、周辺住人が皆集まってざわざわしているでは無いですか。
鈍い私は
「あ~やっぱりヤバいやつなんだな。。。」
と改めて思ったのでした。(あほ過ぎる)
そう思ってから、実家の家族に電話しようとするも繋がらず。
(多分みんなそうでした)
ひとまず実家の家族が心配でしたので、原付で実家へ。
近くに住んでいたので10分かからず到着。
道路の混雑などの変わった様子は特にありませんでした。
到着すると、家族がマンションの前にいました。
仕事で出ていた父以外は集合済み。
その他色んなご家庭の方が外にでて慌ただしくしていました。
(すること無いんですけど興奮してたせいでしょう)
当時雪が割と降っていたので、皆頭が白くなって寒そうにしていたのを覚えています。
家は危険、そして戻るのは怖い。
そんな理由からコートも着ず寒そうにしている人が沢山いました。
家族の安否を確認し、少し落ち着いた私は
「あ、食料買いにいこ~備えなきゃ~」
等と呑気な事を思い、近くのコンビニまで行きました。
すると地震が起こって間もないのに、コンビニが『満員電車状態』でした。
私も乾麺やおにぎりなどいくつかの食料は買えたのですが、大概の食べ物は既に売り切れ状態。
日用品では電池や水が瞬く間に売り切れていました。
あと意外と人気があったのがタバコですね。
スモーカーはみんな数個以上買っていました。
タバコはスモーカーの必需品。
緊急時になれば、ひと箱1000円でも買う人はいると思います。
知らんけど。
その後、津波の危険があるという事で我々一家はマンションの屋上に逃げ込み、周辺住民と身を寄せていました。
幸い、私のいた地域は『松林』と『高速道路』に守られて事なきを得ました。
そんなこんなして夕方になると、電気は止まっているので文字通り『闇』で何も見えない。
興奮疲れというのか、暖を取れないストレスと疲労が早くも出てきていました。
私は野グソを平気でやっていましたが、トイレに困った人はたくさんいたと思います。
一時的でしたが断水もありましたし、何より家屋内に入るのが怖いという人が多かったですからね。
車内でスーパーの袋にしている人も多かったと思います。
余震も続いていたので、
『家に戻るのは危険』
とみな感じており、私も含め多くの人は車中泊をすることになりました。
そうでは無い避難民は、市営の体育館などに集まって過ごしていました。
夕食は何を食べたか覚えてません笑
とりあえず私は、風呂に入れなくイライラして、寒くて、寝れなくて、そんな状態だったと覚えています。
カラダ吹きシート、欲しかった。。。
非常にざっくりですが、これが震災当日の私です。
細かく書くとキリがありませんね笑
津波については敢えて触れません。
未だに津波の動画が見ると『過呼吸』を起こす人が身近にいますし、フラッシュバックしてしまう人もいる可能性があるというのが理由です。
§3.震災時ゴミカス共①
震災による津波で、海に近い工場も大きな被害を受けました。
印象深いのは『カップラーメン工場の襲撃』です。
襲撃という表現は適切では無いかもしれませんが、当時津波の影響でとある有名カップラーメンメーカーの商品が流され、工場周辺一帯にカップ麺がぶちまけられていました。
それに気づいた人が『カップ麺を集めて持ち帰りまくっている』という事案がありました。
泥棒ってやつです。
元気にTwitter投稿している輩もいたので、決して食べ物に困っていたわけでは無いと思います。
結構良心的なコンビニやスーパーもあったので、得ようと思えば食べ物は割とゲットすることも出来ましたしね(*‘∀‘)
確かに、地面に転がり、若干衛生的では無いかもしれない商品をその会社が今後販売するとは思えませんでしたが、そいつらが無断で強奪する権利は無いはずです。
疲れてくると、こんな輩も出てくるのです。
もちろん、ただの興味本位でやっている人も多かったと思いますけどね笑
§4.震災時のゴミカス共②
震災翌日、翌々日?からだったっけかな?
町内で炊き出しがあったんですよ。
近くの公園でボランティアで集まってくれていた人たちが、米を集めておにぎりを作ってくれていたんですね。
そんで、一人2個ずつ配ってくれたんです。
素晴らしいお心の持ち主たちでした。
私もおにぎりを貰って岐路につこうという時に、ふと道に目を落とすと、
ゴロゴロ複数個のおにぎりが転がっていました。
明らかにひとくち齧って「マズっっ!!」ポイッ!!!
みたいな感じでした。
確かに米はパサパサで美味しくは無かったかもしれませんが、公園の目の前(作ってくれた人の通り道)であからさまに食べ物を粗末にする輩が結構いたんですね。
「あ~こいつらみたいな奴らが4neばいいのに。。。」
と心から思いました。
災害時にはクズはクズさを増す。
クズはクズでしかない笑(*‘∀‘)
§5.デマが飛び交う
・福島原発のメルトダウンによる放射線に関しての憶測やデマ
・動物園から猛獣が逃げ出した
などなど、故意の無いものから悪質で意図的なものまで多くのデマが飛び交っていました。
被災中は『情報』がめちゃくちゃ大事なのですが、真偽の見極めが難しくなります。
私もうっかり、騙されてしまっていたことがありましたからね笑
あの頃は、若かった。
笑
特にTwitterなどのSNSから情報を得るばかりになっている人は要注意です。
色んな情報を得た上で、自分で考えて行動をとる事が大切です。
§6.警察はクソ忙しい
環境保全のためか、調査のためか、とにかく暇無しにパトカーがうろうろしていました。
その為、警察はいつものように細かいことは気にしなくなりました。
私も当時ヘルメット代わりに『ニット帽』をかぶって原付を運転していましたし、荷台に人が乗っていても警察はな~んも注意してきませんでした笑
犯罪者にとってはゴールデンタイムです。
ヤバそうなやつが近づいてきたら、巻き込まれる前に逃げましょう。
§7.毎日水風呂
今も昔も風呂好きな私ですが、震災中は水もお湯も使えなくて爆裂にストレスが溜まりました。
水は割とすぐに使えるようになったと記憶していますが、ガスの復旧はかなり先だったと記憶しています。(2~3週間くらい?)
その間私は基本的に我慢できず、水シャワーを浴びていました。
雪の降るくらいのサッブイ気温の中、水風呂は相当辛いです。
呼吸できない位の感覚です笑
あんな経験、二度としたくないですね。。。
現代のインフラに感謝。
ちなみに都市ガスは割と早く復旧しました。
私もたまに友人宅にシャワーを借りに行っていました。
温シャワーのありがたみを感じたことは、そうありませんでしたね。
オール電化のご家庭、、、地域によるかも知れませんが、結構苦労されてましたね。
§8.良かったこともあった
電気が復旧してからは、私は毎日の様に麻雀三昧の生活でした笑
(最近やってないなあ。。。)
そして考える時間が出来る。
身近な人の大切さが改めて実感できる。
クズのクズさ加減が分かるように、良い人の人柄もよりよく分かるきっかけになりました。
東日本大震災において、特に津波の被害と死者数は甚大でしたが、ミクロなところではこういった側面があったのも事実です。
§9.おわりに
記憶が曖昧なところもあり、ザックリ感が否めない感じはあります。
すぐに役に立つ知識では無いですし、人にとっては一生役に立たないかもしれませんが、「こんな感じなんだ~」ぐらいに頭の片隅に入れて頂ければ幸いでございます。
ガスコンロ、カラダ拭きシート、電池式ストーブ、役に立ちますよ(*‘∀‘)
また、
「こんな時どうだったか?」
みたいな質問も頂ければ、お答えしますし、場合によっては記事に書き足させて頂きます(*‘∀‘)
以上、最後までご覧いただきありがとうございました(*‘∀‘)
ではノシ
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