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美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 3
北京人のおっさんが連れてきてくれたのは雲南麵餃館という有名な食堂だった。その名の通り雲南の麺と餃子を食える食堂である。
おっさんが手に入れたどぶろくで乾杯しつつ、餃子を食う。おっさんは「足りないか?食え食え」と我々に飯を食わせ続ける。私が滞在していた村もそうだったが、中華圏の人間は若者を見るととりあえず飯を食わせたがる。お陰で村では一日五食食べることになった。わんこそばならぬ、わんこ餃子に私がギブアップすると、餃子は友人にバトンタッチしておっさんとの会話に徹することになった。メシと酒は友人が、会話・通訳は私が担当するという見事な役割分担である。これを一人でこなすのは至難の業だ。
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酒の回ったおっさんは身の上話を始めた。北京出身のおっさんは55歳でアーリーリタイヤを成し遂げ、現在はタイのパタヤに住んでいるらしい。チェンラーイ、チェンマイ、プーケットなどタイのいろんなところを転々としてきたとのことだ。しかし、タイに親戚もいないのに、中国を離れてタイに移住する中国人というのは珍しい。この謎の多いバックグラウンド、60近くとは思えないほど元気な足腰、パワフルさから、只者ではない「何か」を感じ取った。
その後、私が中国の国境が開いたら是非北京に行きたいですという旨の話をすると、おっさんはコロナ政策はやり過ぎだとの共産党批判を始めた。その後、我に帰って、「政治の話はやめよう。政治はお上が決めることだ。我々のような民草は政策決定に参与できないのだから。」と自分で話を終わらせてしまった。どうやらタイに移住した背景には中国共産党嫌いなのもありそうだ。友人が餃子を食い終わる頃には私は完全にどぶろくが回ってきて酔ってしまっていた。私は下戸なので、少量しか飲んでいなかった筈なのだが、かなりしんどくなっていた。
飯を食い終え、私が閉館時間ギリギリの文史館(国民党軍の資料館)に行きたいと言うと、おっさんはまた別の民家を訪ね、出てきた爺さんに金を払うから車で送ってくれと頼み込んだ。しかし、爺さんは親切にも我々をタダで送ってくれたのである。だが、これが後々面倒なことになるとは想像だにしなかった。無事文史館に着いた我々であったが、私は完全に酔って気持ち悪くなっており、文史館の展示を読める状況になかった。展示のほとんどはネットで調べればわかることをパネルにしてあるだけなのでわざわざ読む必要はなかったのだが。
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私が閉館時間を過ぎてトイレでリバースしている間、友人とおっさんは文史館の職員に賄賂を払ってトイレを閉めないでおいてくれた。ありがたい。
私がリバースしてややスッキリしたあと、北京人のおっさんは何故か地元の女子中学生がバスケをしているところに乱入してフリースロー大会を始めた。多動過ぎるだろ。私はまだ平衡感覚がバグっていたので一発も入らなかった。その後、おっさんは謎のコミュ力でその辺の人間を捕まえて興華中學(メーサロンの中国語学校)まで私をバイクで送ってくれた。
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興華中學は日曜日だったので誰もいなかった。特に見るべきものもなく、適当に写真を撮って段将軍像で座って休んでいると、おっさんと友人がやってきた。フラフラしながら彼らと20分の山道を歩いて宿に帰ると、私は自分の酒の弱さを呪いつつベッドに向かって即座にぶっ倒れた。数時間後、友人に起こされ目を覚ますと、実に面倒な事態が始まっていた。