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北京人おっさんと行くタイ珍道中 7

チェンマイからターク県の県都、タークへと向かう。チェンマイからズンドコ5,6時間くらいバスに揺られてタークに到着。待ち構えていた乗合バス(タイ語でロットゥーと言う)に乗り換える。ウンコをしていたら危うく置いていかれるところだった。 タークからメーソットまでは1000m級の山脈をぶち抜いた山道である。乗り物に弱い北京人のおっさんは既にやられていた。峠道に差し掛かると検問があった。メーソットは国境の街なので国境警備のためであろう。タイ人は身分証、我々はパスポートを提示した。しか

    • 北京人おっさんと行くタイ珍道中 6

      台湾ヤクザ御一行と共にメコン川を渡り切ってタイに入国。ここの入国管理施設は陽気なタイ人のおばちゃん職員がガンガン話しかけてくる。宿泊地にMae Sai Hotel(注:一般名詞の「メーサイのホテル」ではなく、固有名詞の「メーサイホテル」である)と書くと、「ほんまにMae Sai Hotelなん?チェックしにいくで?」と探りを入れてきた。しょぼい賄賂を取ってくるラオスの職員とは大違いである。腐敗していない末端の公務員、ちゃんと舗装された道路、セブンイレブン。タイはとてつもない先

      • 北京人おっさんと行くタイ珍道中 5

        出入国管理施設に入り、ラオスからタイヘ戻ろうとすると、やけにガタイのいいスポーツ刈りの集団が前に並んでいた。最初はスポーツ選手かな?と思ったが、どうやら様子がおかしい。アスリートにしてはイカツ過ぎる。 謎のイカツイ集団にビビりながら出国手続きの列に並ぶと、集団のボスらしき男が我々のパスポートを見て「你是日本人嗎?(お前日本人か?)」と話しかけてきた。笑顔で「そうっすね、みなさん台湾人ですか?」と相手のパスポートを見ながら答えると、「そうそう、台湾人。何しに来たん?」と探りを

        • 北京人おっさんと行くタイ珍道中 4

          友人がお腹が空いたと言い出したのでカジノに戻ることにした。カジノならレストランもあるだろう。泥道カントリーロードをひたすら進み、カジノに到着。 未舗装の道を歩いてきたので友人のサンダルは泥で汚れており、これではカジノに入れないということでカジノの横の噴水で洗ってからカジノに向かった。カジノに向かうと、入り口でやけに東北訛りがキツい保安(ガードマン)のおっさんに「中国人吗?」と訊かれた。「不是,日本人啊」と答えると、领导(上の人)に確認すると言って3,4分待たされたのち、入っ

          北京人おっさんと行くタイ珍道中 3

          北京人おっさんはタイ側に置いてきたのでタイトル詐欺甚だしいが、そのまま金三角経済特区の話を続けさせてもらおう。 我々はラオス側の出入国管理施設へと向かったのだが、職員にワクチン接種証明を見せる際に中国語で「迎えに来る人はいるか?」と訊かれたのである。質問の真意を図りかねていたのだが、これはおそらくラオス政府側が詐欺タコ部屋求職詐欺対策として質問を行っているのではないだろうかという推測が立てられる。何故なら、出入国管理施設だけは金三角特区の中で(おそらく)唯一のラオス政府直轄

          北京人おっさんと行くタイ珍道中 3

          北京人おっさんと行くタイ珍道中 2

          タイ側からラオス金三角経済特区に行くボートがあるっぽいというのは事前に得た日本語情報で把握していた。しかしそれはコロナ前のものだったので、今もやっているかどうか不安を抱えつつ、とりあえず公園周辺の人に訊いて回ると、1キロほど南にボート乗り場があるという。半信半疑で15分ほど歩くと突如出入国設備が現れた。第三国人も通過出来る安心仕様の「金三角過境碼頭」である。 スタンプをポンと押してもらって、保津川下りレベルのボートに乗り込む。仮にも国際航路がこれって本当に大丈夫かいなと思い

          北京人おっさんと行くタイ珍道中 2

          北京人おっさんと行くタイ珍道中 1

          おっさんと共にメーサロンから山を下りてメーサイに向かうことになった我々だったが、山を下りる手段が問題であった。ソンテウの定期路線が消滅していたからである。 おっさんの奢りで、市場で朝メシを食らったあと、我々、というかおっさんは昨日文史館まで送ってくれた爺さんの家を訪ねた。昨晩、「ワシとおっさんの関係は終わった(算了)。」と断言していたのは何だったのか。あの謎の愚痴タイムは本当に何だったのか。愚痴タイムにメシ食えただろ。爺さんは多分おっさんのことを煩わしく思っていただろうが、

          北京人おっさんと行くタイ珍道中 1

          美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 4

          友人に起こされ、目を覚ますと外は雨が降りしきっていた。東南アジアのスコールである。晴れていても涼しいメーサロンの夜は、やや肌寒いくらいにまで気温が下がっていた。 身体を起こして長い階段を上り、ホテルのテラスにたどり着くと、おっさんがiPhoneの翻訳機能を使って友人に何やらずっと同じような話をしている。いや、同じような話というか5回くらい同じことを言っている。そして、おっさんの要領を得ないその話は、しばし不在にしていた通訳係こと私にも降りかかってきた。おっさんの言い分をわか

          美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 4

          美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 3

          北京人のおっさんが連れてきてくれたのは雲南麵餃館という有名な食堂だった。その名の通り雲南の麺と餃子を食える食堂である。 おっさんが手に入れたどぶろくで乾杯しつつ、餃子を食う。おっさんは「足りないか?食え食え」と我々に飯を食わせ続ける。私が滞在していた村もそうだったが、中華圏の人間は若者を見るととりあえず飯を食わせたがる。お陰で村では一日五食食べることになった。わんこそばならぬ、わんこ餃子に私がギブアップすると、餃子は友人にバトンタッチしておっさんとの会話に徹することになった

          美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 3

          美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 2

          東京から約4300km離れたタイの村で現地合流を果たした私と友人であったが、友人は謎の北京人おっさんを連れてきていた。しかし、その北京人おっさんが我々の頭痛の種となることはこの時点では知る由もなかった。 まず、ホテルにチェックインしようとしたが、少しチェックインには早かったので茶館で中国茶を飲むことにした。ここメーサロンではかつてアヘンの原料になるケシが育てられていたが、中華民国(台湾)政府からの援助によりケシが根絶され、代替作物として茶が栽培されている。標高1100mに位

          美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 2

          美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 1

          タイ北部チェンラーイ県の小さな村、メーサロン。中国語で美斯樂と呼ばれるこの村は、国共内戦に敗れて遥か雲南省からビルマ、そしてここタイにまで逃げ延びた国民党軍の落人村である。1980年代に国民党軍がタイ政府に投降し、恭順を誓うまではタイ政府の統治が及ばなかった土地だ。今でも村の学校にはタイ国旗と並んで中華民国国旗がはためき、台湾から送られてきた教材を使った中国語教育が行われている。 さて、私は諸々の事情から友人とこのメーサロンで合流することになっていた。私はしばらく滞在した近

          美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 1