美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 2
東京から約4300km離れたタイの村で現地合流を果たした私と友人であったが、友人は謎の北京人おっさんを連れてきていた。しかし、その北京人おっさんが我々の頭痛の種となることはこの時点では知る由もなかった。
まず、ホテルにチェックインしようとしたが、少しチェックインには早かったので茶館で中国茶を飲むことにした。ここメーサロンではかつてアヘンの原料になるケシが育てられていたが、中華民国(台湾)政府からの援助によりケシが根絶され、代替作物として茶が栽培されている。標高1100mに位置するメーサロンは8月でも夕方になるとやや肌寒いくらいの冷涼な気候であり、この気候は高山茶の栽培に非常に適しているそうだ。
茶館では高山茶と軟枝烏龍茶を飲んだ。高山茶は苦味の他に、舌が痺れる感覚があった。北京人のおっさんも「有点儿麻的感觉」と言っており、自分の舌がおかしいのではないことに安心した。以前、ミャンマー北部の茶を飲んだ時も同じような感覚があったので、この辺の茶に共通するものなのだろう。土壌だろうか?
東方美人茶も勧められたが800バーツと高額だったので、烏龍茶と高山茶だけを買って茶館を去った。宿にチェックインして荷物を下ろすと、北京人のおっさんは我々に昼飯を奢ってくれるとのことで、一緒にメーサロンの街の中心(セブンイレブン)方面へと繰り出した。だが、その前におっさんは3年前に会った人々の家を訪ね始めた。しかし、行く先々で「走了(死んでしまった)」と言われていた。おっさんはたった3年メーサロンに来ていなかっただけなのに、知っている人が全員死んでしまい、浦島太郎状態となっていたのである。たしかに、私が泊まるつもりだったゲストハウスの賀大哥(賀アニキ)も一昨年亡くなってしまい、ゲストハウスは八百屋になってしまっていた(Googleマップには反映されていなかった)。確かにおっさんの知人はほとんど亡くなってしまっていたが、僅かに生き残っている人もいた。
おっさんは我々を連れて一軒の民家を訪ねた。そして出てきた婆さんに「ほら、3年前出してくれたやん」と無理強いをし、金を払ってどぶろくを出してもらっていた。そして、我々はどぶろくを持ち、念願の奢りの昼飯へと向かうのであった。