かっこいいも、かわいいも
女性用トイレや女性用ロッカーを使うときに、いつも緊張してしまう。
自分の見た目に対する、周囲の反応が苦手なのだ。
自分は戸籍も身体も女性だが、「見た目」のせいで、
「男子トイレはあっちですよ」と言われたり
「え、男?!」と驚かれたことが何度もある。
トイレやロッカーで、びっくりされることや二度見されること、胸のあたりをまじまじと見られることや、入口のトイレマークを改めて確認されるというようなことが、日常茶飯事だ。
警戒をさせてしまって、申し訳なくて恐縮してしまう。
なので最近は「あ、女です」と早めに伝えるようにしている。
そもそもわたしは身長が170cmで、女性にしては高いほうだ。
それに、長年のショートヘア。
極めつけに、わたしはボーイッシュな格好が大好きだ。
わたしはそんな自分の装いが、けっこう好きだ、似合うし(大声)。
だがそれが、きっと良くない。
いや、いいのだ別に、好きに装うのはわたしの自由だもの。
ただ、相手に余計な不安を覚えさせるという点では、きっと良くない。
だから、女性用トイレやロッカーを利用する時は緊張するし、申し訳なく思うことが、とても、とても多い。
でもだからといって、人の目を気にして格好を決めるのはあまりに窮屈だ。
自分の中ではこの流れでつながっているのだが、
「かわいい」「かっこいい」と言われるのが苦手だ。
「かっこいい」と褒められるということは、その「かっこいい」のために不審がられることもあるからだ。
そうなると、今度は「かわいい」で変に安心することもあるし、時にむずがゆいこともあって、必要以上に心が疲れてしまう。
だから「かわいい」も「かっこいい」も、ちゃんとうれしいが、ほんのり苦手なのだ。
自分がそういう経験をしているので、
自分から誰かに対して「かわいい」も「かっこいい」も気軽に言えない。
それらに限らず、「見た目」「容姿」について形容することは、それがたとえ褒め言葉や称賛であっても、躊躇してしまう。
心が置いてけぼりになるような気がするからだ。
とても、面倒くさい話をしているのは自分でもよく分かる。
きっと「考えすぎ」ってやつだ。
「見た目で人を判断しない」
とよく言うが、でもやっぱり「見た目」のもつ情報は圧倒的だ。
だからこそ、誰かを描写する時にはなるべく「見た目」については触れたくない。
ビジュアルでなく、言葉や行動・作品、その向こう側にある心情や、背景や、文脈・意図・意思から、その人と向き合っていきたい。
見た目を形容するよりも、自分の気持ちを描写する形で、やりとりをするように心がけたい。
まだまだ下手だけど。
いずれにせよ、わたしが自分の「見た目」にとらわれずに過ごすのはきっとむずかしいのだろうと思う。
別に周囲への要望もない、どう感じようが相手の自由なのだから。
うまく付き合っていくつもりだ。
ただ、わたしから相手に何かを伝える時は、なるべくビジュアルの形容よりも、自分の心情をうまく伝えられる人間でありたいと思うのだった。