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④[病気の壁を越えて~ルワンダでの新たな奇跡の始まり~] ついに始まった高校生活
こんにちは、アフリカと子どもが大好きな19歳のハセガワトアです。
前回の投稿で、志望していた高校の英語コースへの進学が決まったところまでお話ししました。
今回は、その高校でどのような高校生活を送っていたのかについてお話していきたいと思います。
コロナ渦で始まった高校生活
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私たちの代は、中学卒業の時くらいからコロナが始まりました。
そしてそのまま高校生活が始まったので、最初はオンラインや分散登校をしていました。
それが私にとって合っていたのか、コロナで制限はあったものの、充実した高校生活を送れていました。
そんなある日、英語のスピーチコンテストの募集が始まりました。
「これを機に人生変えてみよう」。そう思って、私は思い切って応募してみました。
そしてコンテストに向けて、たくさん練習して忙しい日々を送っていました。
コンテストでは、結果は何も残せませんでしたが、自分にとっては満足のいくスピーチができました。
しかしコンテストが終わった10月頃、また病気が襲ってきたのです。
その当時、チック症状は一時よりはましになり、パニック発作もほとんど出ていませんでした。
なのに、スピーチコンテストが終わって何かの糸が切れたのか、それから毎週のようにパニック発作が起き、チック症状も悪化していきました。
また始まった地獄のような日々
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スピーチコンテストが終わってからというもの、私の人生はまた元の暗いものに変わってしまいました。
徐々にパニックの起こる場所は増えてゆき、ついには教室でも授業中に発作が出るようになりました。
教室でパニックが起こるようになったのが本当の地獄の始まりでした。
授業に出るのが怖くなってしまったのです。
それからというもの、まともに授業に出れる回数はどんどん減っていきました。
そしてそんな状態のまま二年生に上がりました。
スワヒリ語専攻との出会い
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授業に出られなくなってからというもの、完全に私の勉強に対するモチベーションは下がり、生きる意味すら見い出せず、ずっと死のことを考えるようになりました。
それまでずっと、勉強だけは自分を裏切らないと思っていた私にとって、授業にまともに出られないというのは死活問題だったからです。
そんなある日、担任の先生から大学受験の件で職員室に呼び出されました。
それまで、志望校調査の時にはとりあえずレベルの高い大学を書いていた私は、きっと「お前には無理だ。」、そんなことを言われるのだろうと思ってドキドキしていました。
しかし、話は想像とは全く違うものでした。
アフリカ好きを公言していた私に、大阪大学のスワヒリ語専攻を勧めてくださったのです。
スワヒリ語は、タンザニアやケニアをはじめ、様々な東アフリカの国々で話されている言語です。
アフリカのことをずっと学びたいと思っていた私は、その話の直後から大阪大学外国語学部外国語学科スワヒリ語専攻を志望校にしました。
こうして、勉強に対するモチベーションは一気に上がり、生きる意味は見い出せなくとも、死にたいという気持ちは和らいでいきました。
しかし、病気と闘いながらの受験勉強は、想像の何十倍も大変なものでした。
そんな受験勉強のお話は、また次回させていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回の投稿もぜひ読んでいただけたら嬉しいです。
P.S. 現在、11月18日の公開を目標に、次回のルワンダ渡航に向けたクラウドファンディングの準備をしています。今後、その件についてもこちらで投稿させていただくので、よろしければ応援よろしくお願いいたします。