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人生設計が狂ったときのお話

こんにちは、アフリカと子どもが大好きな19歳のハセガワトアです。

今回は、人生設計が狂った瞬間のお話をしようと思います。

その前に、全然関係のない話をしようと思います。

帰国してから心に余裕がなくて、大学退学を何度も考えていました。

でも最近、テレビでケニアの特集をしていてそれを見たら一瞬で気が変わりました。単純ですね。

思えば初めてアフリカを好きになったのもテレビがきっかけで、ケニアに行きたいという気持ちからアフリカに沼っていきました。

久々にケニアの映像を見て、やっぱりここに行きたい、ここで現地の人と現地語で話したいと思ってしまいました。

退学の決心なんてそう簡単にできるものじゃないなと思いました。

そんなことは置いておいて、本題に戻ろうと思います。

人生設計


私は、小学生の頃からずっと教師になるのが夢でした。

例によって単純なので、小学生の時は小学校の先生に憧れて小学校の先生になりたいと思い、中学生の時は中学の英語の先生になりたいと思い、高校生の時はしっかり高校の先生に憧れました。

対象はころころ変わっていましたが、先生という仕事には10年以上憧れていたわけです。

将来に悲観しながらも、ちゃっかり人生設計は立てていた私は、中学生の時にアフリカに沼ってからこんな計画を立てました。

22歳~29歳 中学の英語の先生をする
30歳~32歳 インターンなどでケニアで働く
33歳     日本で起業する
35歳くらい  ケニアで起業して移住する
そこからずっとケニアに住む

こんな設計の通りに生きようと考えていたんです。

甘すぎますが、中学生の時に考えた割には、しっかり18歳までは本当にこの通りになると思っていました。

大学ではスワヒリ語専攻を選びましたが、教職課程を履修できることは調べていたので、そこで教員免許を取って、中高どちらからの英語の教師になろうと思っていました。

いろいろ計画が狂った


そんな人生設計は大学に入ってから一瞬で狂いました。

自分の体力では教職課程をとるのはすごくきついことを知ったのです。

もちろんメインは学部の授業なので、あくまで教職課程はプラスアルファになります。

ただでさえ学部の授業でもついていくのが必死な私は、教職の授業をとったらもう生活が大変なことになりました。

基本的に平日家に帰るのは20時を過ぎ、そこから夕飯を作ったり、洗濯物を取り入れてたたんだりしないといけなかったので、完璧主義な私はどこで力を抜けばいいのか分からず、一瞬で体を壊しました。

5月には緊急入院、実家に逆戻り、からの休学で留年確定という感じで、一瞬にして人生設計が狂ったのです。

22歳から働くというのはもう確実に無理で、きっと復学しても教職課程は厳しいので大学で教員免許をとれない!

もちろん通信大学とかに入りなおせば教員免許は取れますが、今の私にとって大学にまた入りなおすのはいろいろな面で現実的でなく、もし入りなおしたとしても今の大学を卒業してからだと教員免許をとれるころにはアラサー、人生設計とはかけ離れます。

なんならそもそも仮に教師になれたとしてもこのメンタルと体で私は耐えられるのか、という疑問まででてきていったん教師という夢は諦めました。

ということで、去年の今頃、私は人生で初めて将来の夢というものを失いました。

今まで夢がないという不安とは無縁だった私は、19歳にして初めてこの不安と対峙しました。

教師になれないということは、一般企業に就職?それとも公務員?別の資格とって専門職?いろいろな選択肢はあるものの、どれも考えたことのない道ばかりで何を選んでも不安ですし、全く想像がつきません。

いっそのこと大学卒業後すぐにアフリカに飛ぶ?
でもそれはそれで課題は山積み。

どの道を選ぶのもこわくて、でも道が全く見えていないのもこわくて、不安をたくさんかかえた状態で、人生設計のない人生を歩み始めました。

意外と楽しい?


人生設計のない人生を歩むのは怖くて、不安でしたが、なんだか思ったより楽しいことに気が付きました。

単純で極端な私は、教師を目指していたころは、この世の職業は教師しかないのかというレベルでそこしか見えておらず、子どもと関われる職業も教師だけだと思っていました。

でも一度夢を失ってみると、当たり前ですがこの世にはたくさん仕事があることを知りました。

子どもと関われる職業も、本当にたくさんありました。

どの仕事も、もし私が人生設計通りに順当に人生を歩んでいたらきっとほとんど知らなかったと思います。

でも人生設計が狂ったおかげで、今私は、これからそれらの職業に就く可能性すらあるわけです。

もしこれから仮に教師になったとして、人生設計通りになった場合と、一度計画が狂った後になった場合では、きっと子どもたちに伝えられることも変わっていたでしょう。

そもそも人生設計が狂ったことで半年間もルワンダに行って、たくさんの人に出会い、たくさんのものを得られました。

計画通りに大学を四年で卒業していたらどれもできなかった経験だと思うとゾッとします。

ということで、なんだかんだ人生設計が狂ったことに対して最近ようやく前向きに捉えられるようになってきました。

今もまだ将来就きたい職業とかははっきりと決まっていませんが、それはそれでこの時間を大切に過ごせたらなと思います。

就活のことよりも復学が先だろって話ですが。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。



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