SNS時代に改めて学ぶべき内容
建築の実務とは、様々なリサーチにはじまり、集まった与条件の整理と、一旦それらを忘れて自分で考えることの繰り返しの先に、鮮やかに再構築する作業です。
例えばボリュームを出すとき、先ずは求められた諸室や容積を消化した案をつくり、日影や斜線のチェックを行い一旦まとめる。そこから掴むことの出来た建物の性格を客観的に評価するため、模型やCGを起こす。
全くダメだった形も、トライアンドエラーを繰り返すうちに身体化され、自ずと形を変えていくような瞬間や発見があり、ある場所へ着地する。
あるいは、文書を書くにあたって、その土地の文脈やプロジェクトの求めるスタイルなどをリサーチして、一旦は継ぎ接ぎだらけの受け売りな文書を上げてみる。
次の日に、その酷さを苦笑しながら全て破棄してゼロから書いてみると、昨夜の要素が有機的に結びついた自分の文書へ一段階アップする。そんなトライアンドエラーの繰り返しです。
複雑な要素の絡み合い、様々な利害の絡み合いで、まさに政治のようでもあり、折り合いのつけ方が鍵になったりします。言い換えれば関係性のデザインです。建築実務者の職能が他へ広がりを持つとすれば、そんな関係性のデザインにあると思います。
学生終了後・就職まもない頃、この大切な職能について直感的な確信を感じたせいで、実務のつらい壁にもなんとか耐えられたのだと思います。
おそらく著者もこの職能を活かし、ウェブの領域から建築を再構築させているのかもしれません。リサーチと想像力で対象の構造を分析し、鮮やかに再構築するのが建築のデザインだからです。
20代の後半に(確か1998年頃)見よう見まねでホームページを立ち上げ、自分の好きなことについて好きなように書いていました。建築2割、映画4割、演劇、写真がそれぞれ2割と言ったところでしようか。
当時はまだそれほど建築系の個人サイトも少なかったので、多くの方と知り合うことができましたが、建築系の人は少なかったです。
というのも、働いて間も無く実務の壁にぶち当たり、迷走するなかで建築以外の文化へ触れ、日々それらを自分の言葉で書き留めることを何かの糧にして続けていた時期でした。
そうやって10年近く続け、様々な学びや失敗もあり、世の中にSNSが浸透し始めた頃、だんだんと個人サイトの活動はから遠のきました。
仕事は紆余曲折ありながらも、次第に楽しめるようになりました。今思うともっと没頭すべき時期だったのに、建築以外の文化へ手を広げすぎたのかもしれません。しかしだからこそ、今の自分があるとも言えます。
そんな個人サイトの時から著者のサイトを見ていたので、こうやって本を出されることをとても感慨深く思いますし、SNS時代に改めてこれほど多く学ぶべき内容がある事へも、驚きました。