この時期のカレーはソッコー冷やします!
おわかりでしょうか(笑)
カレー鍋が、早く冷えるように下に保冷剤を敷く。さらに、周りからも冷凍庫でカチンコチンに冷やしたモノたちを周りで鉄壁ガード。
『キンキンに冷やてやがる!』
カレーたちも、インドの灼熱の気候から急に冷感を感じはじめて、慌てふためく。
わたしがここまで、カレーを即座に冷やすにはワケがある。
そう、わたしは今の夫とお付き合いしていたころ。
お盆に一緒に彼の実家へ帰省した際、何日か常温で放置していたカレー鍋に当たったのだ。
カレー作成より、3日程寝かせたものを朝食としていただいた。
一抹の不安とともに食したあとの、わたしに及ぼした心理的影響は半端なかった。いつ腹痛がやってくるのかと、陣痛を待つ妊婦の気分だった。
わたしは、落ち着かず、九州の知らぬ街を散策した。
いや、今思うとあれは徘徊だったのかもしれない。
若かりしわたしの作戦①
何時間もウォーキングすることで、カレーのカロリーを消費するとともに、カレーを体内から消費してしまう。そしたらカレーはないことになる。ということは、腹痛は来ないということになる。(この頃は、本気で信じていた。)
ただただ、信じて炎天下の歩道を歩き続けた。
そうだ、いつもご家族が連れて行ってくれる大昌園まで歩こう。
そうゴールを決めて、ただ歩き続けた。
一時間ちかく歩き続け、汗が滴ってきた。のどが渇いた…。
そこで、わたしは、気づく。そう、
手ぶらで来てしまったのだ
カレーの不安を払拭したく、居ても立っても居られず、勢いあまって出てきてしまったのだ。
灼熱の暑さに、大昌園まで辿り着いてないが、帰ることにした。
ここで、ついに来てしまったのだ。
お腹の急降下!
うぅ、、、消化しきれなかったカレーたちに含まれた菌がついに芽をだした。そして、わたしの腸内で開花して菌という名の花粉を飛ばし始めた。
毎朝ヨーグルトで作り出した、わたしの腸内フローラは全滅。絶望する。
うぅ…家までは、早くてもあと40分くらい。
歩くしかない、歩くしかない…わたしは、歩く、歩く。
爆風スランプのRUNNERが脳内でリピート。
いや、もう耐えられない…と思いながら帰路につく。
ここで、希望の光が現れる。スーパーマーケットのサニーだ。
いつも、車で行っているのになぜか腹痛に耐えながら歩いている途中でみるサニーは、とても偉大な建物にみえた。
吸い込まれるように、サニーへ入店し、すぐさま店員さんにトイレの場所を聞く。
猫背で、手でお腹を抱えながらトイレへ駆け込む。
ふぁ〜〜〜〜
完全に、頭と視界がクリアになった。
トイレをお借りしたからには、なにか一品でも買って帰りたいところ。しかし、銭は持ってない。彼の実家まで、ラストスパートを切る覚悟ができるまで店内で涼む。
そして、無事帰宅。
ご家族が、『おかえりー、よく歩いたわね〜!』と言われるなか、冷えた家のなかでゆったりとした。
うっ!!!
来た、第二波。
腹痛は、どんどん悪化する。
冷や汗、脂汗が止まらない。
ついには、起き上がれなくなり寒気がしてきて
関節の節々が、痛む。
熱を計ると39℃ちかくある。
これは、タダゴトじゃないと彼が車で救急で診てくれる病院へ行った。
病院で、見てもらい熱は下がらず、やはり診断は食あたりのようだった。
わたしは、点滴の処置にはいる。と、そのとき
彼もトイレへ駆け込む。。
そう、彼は、わたしよりも遅く腹を下した。
彼も熱があり、そのまま、診察室へ。
そう、ふたり仲良く病室のベッドにならんで点滴をしたのだ。
わたしは、痛みがひかず痛い痛いとわめいてたので、となりで点滴をしながら寝ている彼に励まされる。しかも、ベッドもふたつ近くによせてくれている。
そして、なぜか、ベッドで点滴を受けている男が、となりのベッドでも点滴を受けている女を励ましているという謎の光景が出来上がった。
それは、カップルなのだが
今思うと、こういうのがバカップルなのだと確信。
そして、明日に限って東京へ帰る日で、新幹線のチケットもとってあるし
帰らないわけには、いかない。
明日になった。
お義父さんに最寄り駅まで送っていただいた。彼は治りが早かった。わたしは、東京まで死にものぐるいで帰った。
それから、我が家では、カレーを火にかけるときは作るときのみとなった。
写真のように、カレーを作ったら即座に凍ったペットボトルと保冷剤で周りを固めて、冷えたら冷蔵庫へ。
食べるときに、お皿にあたたかいごはんをよそう。
その上からキンキンに冷えたつめたいカレーをかけて、レンジでチン。
カレーは、夏に食べるから美味しいのかと思ってた。
しかし、灼熱のカレーにお腹が痛くなり、辛口な経験をしてわたしはちょっと、オトナになった。
でも、カレーの辛さくらいは、いつだって甘口がいいんだから。
むぎあじ。