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書くことが遅さを生む

書くことで他の何かから解放される。書きながら、書くこと以外に意識を向けることが難しいのは、目・手・脳。逆に、耳はどんな時でも周りから影響を受けやすい。

これは自分のペースで物事を進めることができるようになるきっかけとも考えられるし、考えられなくなる阻害要素ともとらえられる。

私たちは、情報におぼれないよう、目的という標を頼りに意識という船を操舵する。その標は、地平線に浮かぶ島や、灯台の灯りのように遠くから目に見えるものとは限らない。そんな時、羅針盤のような頼ることができるものが必要である。

自己をコントロールするというのは、自分の半径30cmくらいにある大抵のものを自分でコントロールできている感覚がある状態。これは、物理的にはコントロールできていなくても、次の動きの想定ができているかいないかで変わってくる。
これが想定できていないと、そこに注意力を向ける必要がある。

これは人間が本来生き抜くために必要だった力だろう、しかし、そのせいで注意欠陥となる。

もしかすると、世のすべての人が、実は注意欠陥に悩んでいるのかもしれない。
だからこそ、それをどうにかするため、遅さ、つまり自分のペースを取り戻す必要がある。

しかしおれは、ずっとである必要はない。私たちは刺激を楽しむことができる。ただ、刺激を楽しむあまり穏やかな時を忘れてしまうのは、少し危うい。

何も書くことだけだ、効果があるとは思わないが、書くということは、自分が立ち止まるために有用な手段であることは確実だろう。

書くのは、私の気持ち。
考えというのは、まとめようとするけど、それは必要ない。
まず書く。
思いを、気持ちを、感情を、だれに見せるでもなく、綺麗ない言葉や文章である必要もない。
話はそこからだ。


#write


[[2023-03-20]]

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