私が目指すタスク管理(220718)
始めた理由
タスク管理という言葉を認識したのは、いつからだろうか。おそらく、仕事を始めて数年たち、自分のやることがいつまでも終わらない感覚がずっと続いていたことに気づいたからだと思う。
そこまで覚えていないが、1番最初は、エクセルにやることを打ち込み、日付を優先順位と認識させていた。いわゆるやることリストだ。しかし、いつまで経ってもこれじゃ改善されない。だから色々な方法に手を出した。
Googleカレンダーのリマインダーをつかったこともあった。
情報カードでタスク管理をやってみた。
Todoistもやった。Trelloもやった。付箋に書き出してみた。
バレットジャーナルもやった。
Notionでタスク管理システムも作った。
うまくいったもの、うまくいかなかったもの色々ある。
その根底にあるのは、仕事ができない自分から変わりたいという思いだ。だからこれがないと仕事ができないと自分は思っている。
これがあって、今縁あって園長という職務に就かせてもらっている。今の自分は仕事ができるのではなく、補助ツールを活用することで、ちょっと周りより評価してもらえている状態なのだ。
今では、自分が自分をうまくコントロールできるようになってきた感覚はある。
今回は、それを言語化してみる。
考え方
プロジェクトリストの取り扱い
大きな仕事は、誰かと行う。その場合手順を踏んで、トップダウンで行う。複数日かけて実行することがおおい。それらを総称して、会社でプロジェクト、またはプロダクトと呼ぶだろう。
上記ほどは大きくない、しかし2日以上かかるソレもプロジェクトになる。ここの定義は、GTDのプロジェクトから引用する。
これらは、今までトップダウンの思考で考えていた。
つまりタスクの親項目にはプロジェクトが存在する。それも、もれなく全てに対して。
実際は、そんなことはないし、もっと言えばそれはどうでもいいことなのだ。親項目かどうかというのは、そのタスクがどこかに分類するとしたらという話で、細かなタスクの粒度を揃える必要はない。少なくとも今の自分にとっては。
こうなると、プロジェクトはなんのために必要なのかという話になる。
私にとっては、“○○ができるようになる”などというもの、つまり短中期目標を用意し、今の自分にとって何が必要かを考える手段の一つだ。そのプロジェクトリストは毎週更新している。そこには、タスクの一覧ではなく、何を目指しているのか、最近はどのように思っているか、などかなり曖昧なことを書いている。何かの期限などは、別の場所に書いている。
このリストは自分が抱えている、もとい自分が進めたいプロジェクトのリストなのだ。
まとめると、タスクの中に、プロジェクトリストから自分で行動を選択したタスクと、生きる上で必要なタスクと、ルーチンタスクが存在する。
メンタルコントロール
上記では話し足りない部分は多い。しかし、タスク管理において、タスクの考え方より、重要なものがあると考える。それは、メンタルコントロールである。
前提として、仕事なので、やるべきことはやるべきである。それは絶対。しかし、そうはいってもこちらは人間なので思った通りに行動ができない。これも人間だからである。
そもそも人間が自分の思った通りに行動できるのであれば、そんなに苦労はしていないし、もっと成功者は多い。それができないのが人間なのだ。そんな不完全な人間という生物が、自分が決めたシステム通りに進めることはできない。
かなり乱暴な言い方だが、私にとってはそういうものだ。そもそもタスク管理に取り組む人は、何かしらの自分の不完全さを嘆き手を出す人が多い。ならば、システム通りにいかないことを想定するべきなのだ。
なぜだろうか、それをしないのである。少なくとも、私は1年前まではしていなかった。
Notionを使用して、完璧なシステムを作った。iPhoneからもiPadからもパソコンからもいつでもどこでもタスクの状態も確認できるし、タスクの追加もできる。簡単にメモも取れ、議事録も簡単に取れる。手順書もたくさん作成し、便利に使っていた。必要に応じて、システムの変更も簡単にできる。
ではなぜ過去形なのか。使うのをやめたのか。
それは自分の感情がついていかなくなったからである。明確にある何かがあったようには感じない。強いて言うならば、コロナ対策で疲弊した自分の糸が切れたのだと思う。むしろよくやった方だった。
では、どうするのか。管理をしないことも考えた。状況も変化するし、場当たり的にやった方が1日のコントロール感はうまく行くかもしれない。
ここで大切なのは、実行する「私」は人間であり、不完全な存在である。だから、完璧な仕組みというのは土台無理があったわけだ。
自分が進むべきコンパスを作成し、その時々に合わせた行動とメモを残せるくらいの仕組みがいい、そう気づいたのだ。
振り返り、自分が1番うまくいっていたと感じるのは、手書きでバレットジャーナルを書いていたときだ。なんでこれがうまくいったのか。これは余白があったのだ。余白により、付箋で貼り付けたり、欄外にメモを書いたりしていた。
これができる方法として今はLogseqを使用している。
ここで大切なのは、Logseqがいいのではなく、自分の感情のゆとりを持たせることができる手法を持つということだ。
その中の一つが、妄想である。
妄想し、事前に想定をしたことにより、何かがあっても対応しやすくなるのだ。この妄想というのが、ミソである。事前計画としてしまうと、どうしてもうまくいかなかった時に、落胆してしまうのだ。計画ではなく妄想。この妄想は、不完全な自分がするのだから、ずれるかもしれない。それでいい。そもそも完璧な1日のコーディネートなどできないのだから。
ここを今はデイリーアウトラインを作成している。
繰り返しになるが、大切なのは手法ではなく、メンタルコントロールである。私にとってのそれは、妄想という想定をし、イレギュラーが起きた時は「で、どうする?」と自分に問いかける。そうやってたくさんの妄想を分岐点として用意し、当日を迎える。一見面倒そうに感じるが、事前に妄想した時に判断できない内容が、咄嗟の自分で判断はできないのだから、ここを考えるようにしている。
メンタルコントロールとしてもうひとつ、ハードルを下げることも大切にしている。計画を立てて、それ通りに行うということはハードルが高い。
私のハードルは、1日の記録を取ること。これだけである。それさえやっていれば、妄想をしていなくてもいい。それは自分のルールだ。もちろん、妄想をしておいた方がいいのだが、それを絶対にするとうまくいかなくなる。この認知の違いが自分に劣っては雲泥の差なのだ。
技法というなのTips
小技と言うほどのものではないが、タスク管理をする上で影響を受けている考えとその技法を紹介する。
クローズドリスト
クローズドリストの話に行く前に、大切にしている2つのことを紹介したい。
『それは本当に今取り組むべきか?』
マニャーナの法則という本がある。この中で、「明日できることは明日やる。割り込みタスクは、最速でも明日の朝」という考え方がある。自分の中では、これが割り込みタスクに対する考え方の基本にある。
もちろん、全部のタスクをそのように取り扱っていた場合、他者と共存する社会では難しくなる。しかし、2つ返事でなんでもすぐに取り掛かることによって、目の前の行動を忘れてしまうことが多いため、『それは本当に今取り組むべきか?』を念頭に置いている。
『自分を過信しない』
ポモドーロテクニックという、集中力を持続させるための時間術がある。タスクを実行する際に時間を区切理、適度に休憩を挟むというものだ。
存外、時分が集中していると思っていても、その後の行動における集中が続かなくなるのだ。ポモドーロテクニックに習い、25分程度で区切るようにしている。この時間は自身に聞いてみるといいが、おおむね、この程度で区切った方が、1日のパフォマンスは良いと感じる。短期で考えるか長期で考えるかによって、この考え方の重要性は変わってくると思う。
タスクシュート
これら2つの考え方を基に、タスクシュートというタスク管理を取り入れている。
この方法は、正直なんでもいいのだが、今日やることと明日以降にやることを区切ったタスクリストを作成するのだ。この今日か今日じゃないかというのが重要だ。別にTODOリストに線を引いて区切ってもいい。なんでもいい。ただ、今日やることは、今日絶対やることと捉える。それ以外のできればやりたいという程度のものであれば、それは別のリストとして扱うのだ。
今日やることは、蓋をしっかり閉じておくという、クローズドリストが、その日1日を穏やかに過ごすためには、必要だ。
いつやるか決める
いつかやりたいことリストはいつまでもやらないことが多い。大抵、そこに書いてある簡単なものや特にやりたいものは消化し、そうでもないものは、いつまでもそこに鎮座している。
やりたいと思った時の熱量と、その後の熱量は異なる。本当にやりたくて、やらなくてはいけないのであれば、その理由を簡単に言語化する。そしてその言語化した内容を踏まえて、いつ実行するのか決めてしまう。いわば自分との約束として、アポイントメントを自分でとってしまうのだ。
ジャーナリング
手書きでも、打ち込みでもいい。自分の感情を言語する習慣をつけておく。頭のなかがいっぱいになっていると思っているとき、実際はそこまで大変ではない。本当に大変な時は、目の前のことに集中しており、ほかのことを考える余裕もなくなる。
不安なことで頭がいっぱいな時は、それを言語化する。そうすることで、不安が見えないものから見えるものになる。
人間は頭の中で処理できるものの量やサイズは限られている。だから、頭の中は簡単にいっぱいになる。しかし、一度吐き出しみると、そんなにたくさんではないことに気づくはず。もちろん、書き出して状況が変わるわけではない。それでも、自分の中の見えない何かが変わり、自分を取り戻す感覚を何度か味わっている。
頭の中がいっぱいだと、冷静な自分ではない。でもそのことに気づいていない。大抵、冷静じゃなくない状態への移行はグラデーションのように緩やかに行われている。そしてそれに気づいた時には、手遅れなのだ。だから、まだ大丈夫と思ってしまう自分を戒め、普段から書き出しておくとそういった自分に気づけるのでこの行動は定期的に行なっている。
モーニングページなどで紹介されている。気になった方は原著を読んでほしい。
終わりに
タスク管理は、手法であり手段である。目的ではない。タスク管理のきっかけは、仕事ができるようになりたいというものだった。
当時は、効率化を目指した。無駄を削ぎ落とし、全てを連動させることを考えた。一度やったことをデータベース化しようとしたこともある。苦手なものには、正面から向かい、心をすり減らしながら自分の実力を上げようとした。このことが無駄とは思っていない。しかし今は効率化を目指していない。
では何を目指しているのか。【なりたい自分】という人生のコンパスを今も作り続けている。コンパスなのに作り続けるという矛盾がある。
しかし、今の自分の語彙力ではこれが1番しっくりくる。
なぜなら、コンパスといえど、この方向性が合っているかどうかはわからないのだ。
それでも、時は進み、自分自身も進み続ける必要がある。だから、永遠の未完成で構わないのだ。そのなりたい自分を目指し続けるために、タスク管理を私は続ける。
もし、タスク管理を考えている人がこの文章を読んだのであれば、タスクをたくさんやらなきゃと思っているかもしれない。であれば、まず効率よりメンタルを整えることを優先してほしい。
遠回りに見えて、1番の近道だったと気づけた今だから、私はそう考える。
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