みんな元気になればいい。
息子がもうすぐ10か月になるという頃、初めての入院をした。
朝少しお熱があっただけなのに、あれ?様子がおかしい、と思ったみるみるうちに、全身を硬直させて痙攣がはじまった。
白目を剥き、片目の眼球はあらぬ方向を向ききって、手足はぎゅっと力いっぱい握られてビクビクと強烈に痙攣していた。
呼びかけても反応はない。
息子の身体は完全に自分のコントロールを失っていた。
まだふにゃふにゃだけど、誰もいない早朝の公園に放てばハイハイしてどこまでもまっすぐ進んでいくこの子が。
いたずらが大好きで、目に入るあらゆるものを興味津々に掴み取り、感じてはキャッキャと喜んでいるこの子が。
昨日までの赤ちゃんらしい平和な様子と、今目の前で見たこともない動作で異常を感じさせる様子にあまりにも乖離がありすぎて。
一瞬、いろいろなことが頭をよぎったけど、痙攣への対処方法なんて知らなかったけど、
息さえしていれば
呼吸さえできていれば
脳に酸素が送られていれば
固く強い力で痙攣する身体を抱き上げて、呼吸を確認し、万が一の嘔吐に備えた。
息子が見えないとんでもない強い力に支配されているようで、このままどこか知らない世界に行ってしまうのではないかと、怖くて怖くて、何度も名前を呼んだ。
あなたのいるとこはここだから!
ここだから!
何度も何度も名前を呼びながら、救急車を呼んだ。救急隊員が到着するころには痙攣も収まり、ぼーっとしていたけど、ニコニコして目の焦点もあっていた。
痙攣で人は死なないこと、救急車を呼ばなくていいこともあると知ったのは、そのずいぶん後になってからだった。
救急搬送先で「元気そうだし、おなかの風邪」と帰宅を指示された。血液検査の結果は異常値を示していたし、私の勘が「違う」と言った。
検査結果を握りしめて、ビオフェルミンの処方を待たずに、すぐに別の大学病院へ行った。
息子の様子と痙攣の状況、血液検査の結果を見て先生は、私の同意はおろか、説明さえする間もなく「とにかく優先で」と検査、投薬、入院の連絡を各所に指示していた。
「お母さん、これ敗血症。すぐ検査してすぐに投薬開始するから、入院、いいね?後でいくから上あがって。」
「看護師さん!すぐに連れていってあげて!」
病棟では先生方と看護師さんたちがバタバタと慌ただしく行き来して、いろいろな装置を準備していた。
髄液を採取するからと検査室に入ったその扉の向こうから、息子の断末魔の叫び声が聞こえてきた。
どうして私じゃなかったんだろう。
代われるものなら代わらせてください。神様。
まだ1歳にもならないんですこの子は。
たくさんの先生や看護師さんのご尽力で、息子は髄膜炎の一歩手前で危うく助けられた。
ひとまず安心とわかっていても、高い柵のベッドのなか、まだ小さいからと少しだけ拘束されて、点滴やいろいろなチューブが繋がれる小さな息子の姿は、あまりにも日常からは遠く、痛々しくてならなかった。
もうすぐこの子を置いてここを出ていかなくてはならない。私が泣いてはいけない。
歯をくいしばって、笑顔にちかいものをつくった。
帰りがけ、この病棟を見回してみると、8割方のベッドが埋まっているようだった。
息子と同じくらいの年回りの子、ベッドに横になってアンパンマンを見ている子、ベビーカーに座って看護師さんにごはんをあーんしてもらっている子、抱っこでミルクを飲ませてもらっている子、看護師さんと一緒に絵本を選んでいる子、ICUの扉の中、カーテンの向こうで静かに頑張っている子、入院が長いのだろう、色とりどりの折り紙の作品で飾られたベッドにたくさんのぬいぐるみたちと寝ている子。
共通しているのは、この子たちはみんな子供だってこと。
子供の本業は、さんざん遊ぶこと。
たくさんワクワクすること。
転んで思いっきり泣くこと。
ママやパパやたくさんの人たちにぎゅっと抱きしめてもらうこと。
ここにいるみんな、全員、一人残らず、元気になればいい。
その夜、強く強く、そう思った。