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オリジナル教材を作成している同志へ

プラスドライバーです。
地方都市の一個別指導塾(小さい)で、約20年ほど理系の講師を中心に指導を行っております。

このお仕事を始めて、最初の5年くらい私は生徒に向けて「オリジナルのプリント」を作っていました。生徒別に、『A子ちゃんプリント』『B男くんプリント』と銘打って、授業で解かせたり、宿題にしたり。

好評だったかどうか。これが実はよくわかりません。
当時は保護者面談をする権限を与えられていないペーペーで、生徒との距離感は近すぎ。典型的な「舐められ講師」でしたので、正当な評価を聞くことができませんでした。
成績はそれなりに伸ばしていたような記憶がありますが、校舎が変わったり生徒が辞めたりしたので、あまりいい評価ではなかったのでしょう。今ならわかる。

でも、自分としてはこの『オリジナルプリントづくり』が楽しくて仕方ありませんでした。そうです。現実逃避です。
5年目あたりで教室長になるまで、教務の仕事は楽しい、校舎管理に関する仕事は楽しくない、という発想で、とにかく業務お仕事から逃げていました。

プリントを作れば仕事をした気持ちになっていました。正当な評価なんてもらえていないのにね。

教室長になってからは、オリジナルプリントづくりは生徒別から学年別へと変化しました。このころになると、保護者面談ができるようになり、『長』という肩書が生徒との距離感を適切なものに近づけてくれました。その結果、作ったプリントに対する意見を耳に入れられるようになりました。

しかし、作ったプリントが学年別に変わった結果、入社すぐに作っていたようなピンポイントなプリントではなくなったため、成績の上下幅の大きい個別指導の生徒たちにピタリと合うようなプリントではなくなってしまいました。
それに、学年みんなに同じものを渡すのであれば、教材会社さんが出しているような教材を買って渡せばいい。プリントを作る意義はなくなっていきました。

ここ数年は、かなり限られた範囲でのプリントを作っていました。とはいっても、過去に作ったプリントの焼き直し。作ったというよりは、レイアウトし直した、といったところ。

オリジナル教材を作ってる塾の先生方って、一定数おられるんじゃないかって思うんです。私も教務大好きですから、入試分析もしちゃうし、考察もしちゃう。予想問題…は最近は作ってないですが。

そんな教務マニアにとって、世に出回る教材は、「帯に短したすきに長し」に見えちゃう。すごくよくわかるんですよ。

オリジナル教材を作ったり作らなかったりした時期のある私にとって、オリジナル教材作成は禁断の果実です。迷いの森です。地下迷宮です。

オリジナル教材って、なんのために作るんでしょうかね。
オリジナル教材って、本当に生徒や保護者さんが喜ぶんですかね。
オリジナル教材って、ほかの何かに代替できないものですかね。

「オリジナル教材かっこええやん。市販の教材ピンと来ないから作っちゃえばいいやん」となるのは、私の中ではNG。

目的が明確ならいいんです。生徒保護者が大喜びならいいんです。何にも代えられない教材ならいいんです。
でも、それを「考えずに」作るのは、ただの自己満足。たぶん、承認欲求を満たしたいだけ。
オリジナル教材を作るのは腕が要りますから。できる人はすごいんです。でも、「すごい」だけ、たぶん。

あれです。会社内で一番腕相撲が強いとか、お酒の種類を語らせたら講師の中で右に出る者はいない、みたいなのと同じ。すごいけど、「で?」って感じ。

とかなんとか言ってる私も、オリジナル教材これからも作りますよ。
でも、目的がブレたら作り変える。生徒保護者が喜ばないなら作るのをやめる。代替可能な教材ならその教材を使う。

いつもいつも、教材を作るときは「これって作る意味ある?」と思いながら作りましょうって話です。

とくに、最近「だれの意見も聞かずに」プリント作成に励んでいる塾講師の方、あなたのことですよ(つまり私自身)。

サポートしていただけるとありがたいです。