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鬱に泣かされたの。

「悪い男」に泣かされる。
嫌ですね〜〜〜まじで嫌ですね〜〜〜〜(意味深)

つい最近、恨みきれない相棒、鬱野郎に思いっきり泣かされたので鬱と涙について書いてみます。でも「何に泣かされているのか(=何に対して苦しいのか)」はわからない・存在しないのが鬱です。

鬱に泣かされるとは?

これを読んでくださってるあなたへ質問です。

最近苦しくてむせび泣いた経験はありますか?

私が覚えてる限り、症状的な苦しさ以外で嗚咽するほど泣いたのは大好きだった元カレと好き別れをした日(約1年前)です。元々自分から別れを切り出せるタイプではなかったのですが、お互いの状況を考えて人生で初めて私から別れ話をはじめて別れました。いい思い出〜

上とは対象的に鬱真っ最中の私は特になにか悲しい出来事が起きてるわけではないのに、心が締め付けられ息苦しくなって泣いてます。泣いてる理由はわからないし、ないです。急激な気分の落ち込みは鬱の精神症状のひとつですね。

あなたは理由なく、嗚咽して泣くほど苦しくなりたいですか?


泣きながら考えていること

鬱に泣かされた先日の私の頭の中をリアルに表現してみたいと思います。

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バスを使わずにのんびり歩いて帰ることにした、ある夜道。

「私って死ぬことについてあまり恐怖がないのかも。昨年のできごとで死んでもいいと本気で思ったし、鬱の急性期には毎日生を止める権利(安楽死)がほしいだなんて考えてたし。他人より「死」を意識して生活してるんだな。」

「というか死ぬまであと60年もあるのに、こんなに生きにくい心身になってしまった。耐えられるのだろうか?」

明らかに社会に適合できてない。最近結構頑張ってみてるけど、当たり前に毎日元気でいられない。この世のどこで生きればいいのだろうか。」

「というか生きたくないんだが

「私には大切な友達やパートナーがいて、彼らに生かされた大切な過去がある。簡単には死ぬべきではないけれど、でももう無理なんだよ....

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この夜道にいる私を今振り返ってみると、希死念慮をはじめ鬱の症状が出てるように見えます。結局、ここから何もできないほど苦しい時間が約1日続きました。

病気持ちとしての生きづらさについて考えてしまい、割とネガティブ思考に陥っていたのは事実です。

でも、私はここで声大きめに主張をしておきたい。自分で言うのもなんですが、私は割とポジティブにほどよく諦め・悩みを引きずらなくて、嫌なことは大抵寝て忘れるか超ポジティブ変換をして咀嚼できます。失敗したら「これもいい思い出」or「学び」って言えます。私を知る人なら思い当たる節があると思います。

「鬱は気の持ちよう、性格だ」って私に面と向かって言う人は大抵初対面の方です。気の持ちようで対応できる問題なら"ちょっと引かれるレベルの楽観視"をどこからか引っ張り出してきて解決させてます。精神論で解決できないから、お金を払って用意してる頓服薬を飲むんです。

さいごに

今回は「鬱に泣かされる」をテーマにしてみました。これを書いたのは3つくらい理由があります。

まず、書いて消化しないとやってられないから。自分のためにnoteにして供養して嫌な思い出とはバイバイしたい。

もう一つは「病気を持ってないとわからない」という当事者と非当事者の間にある大きな溝を埋めたいから。仕事として取り組みたい問題でもありますが、あまりメンタルヘルスへのこのアプローチについてアイデア・事業化案を持ててなくて。自分の経験を言葉に落として病気をしたことがない人へシェアすることが今の私にできることだと思っています。

あとは「鬱は気の持ちよう・性格」という誤解に対して、否と言いたいから。病気についてオープンであることは失うことは多いけど、それでも間違ってることには声をあげれる強さがあると思っています。違うからな。

- おわり-

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