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アマゾンプライムお薦めビデオ② 87 鬼才が撮った正統派ラブサスペンスはやはり鬼才映画だった!パク・チャヌク監督作品『別れる決心』

まあ、なんというか、期待通りにして期待以上、それがこの作品、ご存じ韓国の鬼才パク・チャヌク監督の最新作『別れる決心』です。

パク・チャヌク監督といえば、日本における韓国映画のヒットの幕開けとなった『JSA』こそいわゆる正統派映画でしょうが、その後の復習三部作である『復讐者に憐れみを』、『オールド・ボーイ』、『親切なクムジャさん』、そしてそれに続く『渇き』、『お嬢さん』を見てしまった我々にとっては、もはや正統派と言うよりも「鬼才」と言った方がいい監督でしょう。

その「鬼才」が、ここで敢えて、一見、正統派のラブサスペンスとして世に送り出したのがこの『別れる決心』です。でも、そこはやはりパク・チャヌク監督、正統派であると同時に「鬼才」感が溢れ出てしまっています。

そう、世の中にはいわゆる天才と鬼才がいます。言い方を変えれば優等生の皮を被ったはみ出し者と、明らかなはみ出し者です。日本映画で言えば、前者は古くは小津安二郎や木下恵介、そして近代では山田洋二といったところでしょうか。後者は鈴木清順、大林信彦、今村正平といったところでしょう。ビートたけしは天才たけしだが、映画監督としての北野武は「鬼才」でしょう。と書いたところで、もう、皆さんお気づきでしょうが、結局は「天才」は「鬼才」をやろうと思えばできる人たちですし、「鬼才」は「天才」をやろうと思えばできる人たちです。つまり両者の資質は全く同じなのです。新作映画「首」の記者会見で、北野武監督は得意のジョークで三池祟司監督より、私のほうが品(ひん)と家柄がいい、と言ったような発言をしていましたが、ある意味「グロい」とされるものを直接的にに出すか、間接的に暗に出すかという点が違うだけで、扱っているテーマとそれへの関心は両社とも同じなのです。

ということで今回の『別れる決心』では、パクチャヌク監督は直接的ではなく、暗に迫るアプローチをとりました。そしてそれは見事に成功していますし、同時にある種のバランスの悪さがどうしてもそこには出てしまうという点でも見事に成功しています。そう、これはある意味「優等生の皮を被ったはみ出し者」がその「皮」を「これは皮ですよ」と提示しているような映画です。しかし、その「皮」が何重にもなっている。主人公の刑事は夫婦生活においてうまくいっている「皮」を被っていますが、それが「皮」であることは誰の目で見ても明らかです。また女主人公は「悪」なのかそれともある種の「被害者」なのかこれも二重の皮を被っていますし、また言語的にも、韓国語もある程度以上に流暢であるにもかかわらず、出身国である中国語をアプリにかけて韓国語で会話したりしています。しかもそのアプリの音声が女性の声ではなく男性の声だったりします。

と、これらはあくまで一例ですが、この映画にはそのような「皮」というか「層」が何重にも張り巡らされています。そしてそれでいて美しい、映画として、映像作品として、そしてお話し(ストーリー)として大変美しいものに仕上がっています。そう、まさに北野監督が言ったように「品(ひん)がいい」のです。そしてこの「品(ひん)の良さ」は鬼才であるからこそ、鬼才としての資質をもっているからこそ出せる「品の良さ」なのです。

ということでこの映画、超お薦めです。
是非、ご覧ください。


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