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アマゾンプライムお薦めビデオ③ 101:むしろ今見れてよかったかもしれない映画『MINAMATAーミナマタ』

今回紹介する映画はこちら。ジョニー・デップが新境地を開いたと言ってもいい『MINAMATA-ミナマタ』です。

公開は2021年ですが、当時はジョニー・デップが泥沼の離婚裁判中で元妻にDVを行っていたのではないかという疑惑もあり、興行的にはあまりヒットしなかった記憶があります。その後、無実は証明されたのですが、残念ながらこの映画はジョニー・デップ主演作の中でも、その「谷」に埋もれてしまった感があります。

しかし、ここでのジョニー・デップは恐らく初の老け役ということもあり、新たな境地と新たな魅力を開拓しています。恐らくあと数年もすれば、あの映画がジョニー・デップについての一つの転換点だったと指摘する人も出てくることでしょう。

さて、この映画、日本人であればだれもが知っている公害病である「水俣病」についての実話をベースにしています。ジョニー・デップ演じる写真家ユージン・スミスの写真は恐らくどこかで目にしたことがあるでしょう。「これを見ろ」「これが現実だ」それが写真の力です。写真家自体は決して聖人君主でも正義の味方でなくてもかまいません。事実、この作品ではユージン・スミスはアル中として描かれています。しかし、そんなことは写真とは関係ありません。写真はまさに「モノそのもの」を映し出します。言葉による意味づけが必要ない、「モノそのもの」を映し出します。

しかし、映画となるとそうとはいきません。映画にはどうしても、意味、ストーリー、セリフなどの形で言葉が関わってきます。そして言葉は力を持ち、主義主張、イデオロギーの形で結集していきます。この件で言えば「反チッソ派」と「親チッソ派」の対立です。言葉を持てる人はまだいいでしょう。一番の被害者は間に挟まれた声を持てない人、持ちたくても持てない弱い立場の人、そもそも持つべき声を持てない人(=患者本人)です。この映画同様、この映画がその立場を置く立ち位置同様、私としても当然チッソ側は責任を認め賠償すべきだと思いますが、しかし、それが問題の根本的な解決にならないこともまた認めざるを得ません。根本的な解決とは同じ問題を他でも繰り返さないようにするということです。真田広之氏演じる反チッソ派のリーダーは確かにかっこいいです。ある意味彼は正義です。しかし、その正義を彼は「戦い」と称しています。ここにこそ大きな矛盾が表れていると言っていいでしょう。正義のための戦いは暴力につながりかねないのです。そしてその暴力に巻き込まれるのもまた弱い立場にいる人たちなのです。

と、この映画、実はそこまで考えさせる仕組みにしっかりとなっています。反チッソ側が正義でチッソが悪とは、表面的(形式的)にはその形を取っているにはせよ、実はそれでは問題はまた繰り返されるよ、ということもしっかりと、とくに最後のシーンで今の世界の状況を見せることによっても伝えています。公開からは少し時期が立ってしまいましたが、福島原発処理水の海洋放出が始まった今、改めてこの映画を見てみることには意味があるでしょう。私が言いたいのは海洋水の安全性云々話ではなく、そこに、国及び東電側と現地住民側との十分な果たして話し合いがあったのか、ということです。争いを生むのも言語かもしれませんが、争いをなくし、新しい発想を生むのもまた言語です。話し合い=説得では決してありません。話し合いはより良い解決策、よりよい解決案、現時点ではこれがベスト言える解決案をともに作り上げるためにこそあるのです。ユージン・スミスが写真で示した力を、我々は言語を使ってこそ示す必要があるでしょう。なぜなら、少なくてもこの地球上においては人間だけが言語を使える生物なのですから。

とそんなことをも考えさせられる映画でした。お薦めです。是非、ご覧ください。



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