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キラキラ女子に憧れる人々に反感を覚え、大勢のモデルがバリバリいるヨガスタジオで学んでいたワケ

ヨガといえばおそらく、美しくて可愛くて細くて身体が柔らかくてセクシーなモデルさんのようなキラキラ女子やインストラクターを世間の人は想像する…

だろうが、およそ恐らく私を知っている方は、アタクシがキラキラ女子とは対局の人間だとご存知であろう。

決して痩せてもいなければ美しさに磨きをかけて頑張るわけでもなく。そもそも運動してるアタクシを想像できない人のなんと多いことか。チコちゃん風。

そもそも私はぜんぜん世間的美しさに興味がない。

なんか面白そうだからと化粧品ブランドで働いたり、なんか面白いからと他人の爪のネイルをバリバリキレイにしたり、面白半分にエクステをつけたり、着飾ることに狂った時期はあるが、基本的に興味がない。

編集者としてアパレルや婦人系雑誌、その集大成のムック本の編集をしてた時期もあるというのに、だ。

◾ホンモノのキラキラ女子とヨガをする

そんな私も最初に通ったのは、元モデル/タレントが牽引しているヨガスタジオだった。理由はもちろん元モデルが牽引してたからなのだが…その方向性はちと違う。

時はオウム真理教時代なのだ。

つまり私がこのヨガスタジオを選んだのは「宗教と無縁そう」というのが理由。

まだホットヨガも岩盤ヨガもなく、数えるほどのヨガスタジオ数。その中でそこを選んだのは、ただスタジオが六本木という通いやすい場所にあり、ノーブルにキレイだったからだ。

私が2年以上学んでいたこのスタジオは、今思えば元モデルが牽引していたのにも関わらず、本当に良いスタジオで、良い教えを持っていた。

とにかく私が見渡す中は、インストラクターはもちろん通ってる人も、確かにモデルや細い人…恐らくモデルやタレントの卵…が多かったが…「ヨガ」に痩身や柔軟を求めている人は一人もいなかった。

真摯にヨガに向き合う人ばかりで、ヨガが瞑想であるという確固たる信念を持って、ヨガを伝えることをやっていたと思う。

セクシーや外見、かつての自分を売り物にするのではなく、もうただ朴訥に…ヨガ伝えようとしていたと感じる。

だからなのだろうが…結果的にいうと、スタジオのスポンサーとモメたのだ。

つまり売出しと集客の仕方が甘いと。確かに部屋が広く、タレントやモデルがいる割には人数が少ないクラスが多かった。

そうしてその結果何が起こったかというと、そのヨガスタジオはクローズになった。クローズにさせられたというべきなのかもしれない。

◾キラキラ女子に憧れる人々とヨガをする

すでにその時完全に「ヨガ」というものに興味を持っていた私は、そのスタジオ主催のインドへのヨガを学ぶリトリートを検討していたが、それごとスタジオは終了した。

その後しばらくの間はいつものヨガインストラクターがなんと、個人的に自宅に通ってくださる形でそのヨガを続けていたが、やっぱり申し訳なさ過ぎて…続けられなかった。

ともあれ「ヨガに通う」ということに耐性がついた私は次なるヨガスタジオを探した。今度は家からも更に通いやすい場所に。

そのスタジオは前回に比べ小さく、とてもインドっぽい…ある意味宗教を感じさせるとこもあるヨガスタジオだったのだが、そもそもインドに行こうとしていたこともあり抵抗はなくなっていた。

そして前のスタジオと同じく、背が高く美しいモデルのような、ムードのあるインストラクターが牽引していた。

そして通って来ている人たちは言わば皆、そのファンだった。

美しいインストラクターに憧れ、その人のクラスを狙いうちにした。人同士の距離感の近いそのスタジオでは、そのインストラクターと夜のクラスの後に一緒にご飯を食べたり、お茶をすることを楽しみにしている人々で溢れていた。

最初は楽しかった! 前のスタジオと違ってスタジオに来ている会員同士横のつながりも強く、友達が増えた気持ちになれた。だけど…

来る日も来る日も、そのインストラクターの褒め言葉を聞き、その人に憧れてる人々に巻き込まれて行動しているうちに、本格的に「何かがチガウ」と思い出した。

ワタシは他の誰かになるためにヨガをしているわけではない。

恐らく決定的だったのは、私自身が「その人たちの褒め称えている美しさにまったく興味がなかった」ということかもしれないが。

そしてちょうどその頃、そのスタジオがクローズになった。何という驚くべきタイミング。

◾そして再びモデルが通う場所へ

そうして私は3つ目のスタジオに出逢うこととなる。そのスタジオは再び、通っている人がモデルやタレントが多いスタジオだった。

前に立っているインストラクターはふくよかで個性的な人々。スタジオの中には背が高く美しい人で溢れ、誰一人として前に立つヨガインストラクターになろうと憧れている人はいない。

それはちょっと聞くと当たり前のように感じられるが、求めていることが大きく違ったのだ。

今思えば、モデルやタレントになるということは、身長やスタイル、顔や体力といった身体的条件はもちろん…ファッションの勉強や努力、クライアントの兼合い…そういうこともあるだろうが…

それ以上におそらく「自分自身とは何者か」ということを問われるのだと思う。

自分自身の本来のベストな状態とは何か。自分自身の個性とは何か。自分を知り、そして舞台上などでハプニングがあろうと、いつ如何なる時も慌てずにそれを提供できること。

多くの美しい人々がいる中で、誰かの真似をするのでも、誰かになろうとするのでもなく、自分らしさとは何かを求める職業…その究極がモデルなのかもしれない。

ヨガとは本来の純粋な自分に出逢う作業ともいえる。

スタジオの中にあったのは、横のつながりもなく、言うならば縦のつながりもなく、ただ真摯に朴訥に、自分自身を見出そうとヨガを学ぶ人。

ともあれ。

美しさにもモデルにもタレントにも興味はないが、「自分とは何者か」ということだけが気にかかっていた私は、その美しい人々が乱立する中で学び始めた。

そうしてずっとそこで「自分自身とは何なのか」を学び続けてきている。そしてたまにその片鱗を囓る。他の誰でもなく、自分自身の片鱗を。

残念ながらそのスタジオもまた、クローズになることとなったが、今でも私は同じヨガを、同じ講師から学び続けている。

いつか本来の純粋な自分自身を見出すために。

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