冷やし馬

#3_純粋という獣に憑りつかれたPL--『冷やし馬』(井上ひさし『新釈遠野物語』)のパーフェクトラブ

※作品の「ネタバレ」とともにショッキングな内容が含まれています、ご注意下さい。また、個人的な作品の一解釈になりますことご了承下さい。

博士:夫人、先日とある人にPLはオートマチック、自然と自分の内から湧き上がってくるものだって言ったら、獣みたいだなって言われたんですよ(YouTube参照)。

夫人:あら、やだ。

博士:ということで、今回は、本当の獣のPLがどんなものなのか、検証していきたいと思います。えーっと、人と馬の心中、情死というのでしょうか、そんなお話になります。

夫人:私、馬とお付き合いしたことありませんから興味深いですわ。

博士:ないかーーーー、困ったなぁ。

夫人:ないわよ、普通。

博士:私も馬の気持ちを分かりかねますので、一緒に考えていきましょう。まずは、あらすじをお話ししますね。

 昭和十年頃、岩手のある村に、青江という年頃の娘がいた。馬車曳きの父親と二人暮らしで、シロという精悍な牡馬を飼っていた。
 青江は、シロをとても可愛がり、撫でたり首に口づけをすると、シロもそれに応えるようにすり寄った。「いい加減にしろ!嫁の貰い手がなくなるぞ!」と青江を怒鳴りつける父親に向かって、シロは歯をむき出しにして嘶くのであった。
 ある時、シロの馬ぞりから父親が転落して死亡した。当然のように事故として処理された。
 それからしばらく青江とシロは共に仲睦まじくくらしているが、シロが軍に買い上げられることになった。反対する青江に、軍の伍長は、ことの次第によっては翻意するとほのめかして襲いかかった。青江はシロに助けを求めた。他の者が駆け付けた頃には、息絶えた伍長の姿だけがあった。
 その後、青江とシロは海沿いの断崖で発見された。青江は、下半身が血に染まった状態で横たわり、身じろぎひとつしない。追手の兵隊たちが、シロにピストルの狙いをつけると、シロは青江を咥えて、断崖から飛び降りた…。

夫人:青江の下半身が血に染まっていたというのは、ここで初めて青江が肉体的にシロを受け入れたということでいいのかしら?

博士:そういうことです。

夫人:下半身血まみれで横たわって身じろぎしない、ということは…わたくし、馬と肉体的な契りを結んだことがありませんので、wikipediaで調べてみましたの。「獣姦」の項目に「ウマの陰茎は最大で成人男性の腕以上にもなるため、危険性が高く死亡例も多く報告されている」とありましたわ。この『冷やし馬』の冒頭に、未亡人とその娘が飼い馬を慰みモノにするお話が出てきますけど、そういうのがご趣味の方もいるのね、くらいに思ってましたけど、とても危険な行為なのね!

博士:wikipediaの「獣姦」のページを読み上げるなんて、我々も、思えば遠くにきたもんだ…。

夫人:どれだけ遠くにきたとしても、目的地さえ見失わなければ迷うことはないわ。大丈夫、先へ参りましょう。

博士:グッときた…。強くなれた気がします。気を取り直して…そうなんです!危険なんですよー!人と馬では、ただ愛し合いたくて体を繋げる、という行為が、生命の危機に直結するのです。破滅ですよ。

夫人:もうこれは早い段階で答えが出た気がするわ。このPLは、青江がシロを受け入れたとき。つまり、一つになるために、二人そろって破滅も、傷付け、傷つけられることも恐れない状態になることね。

博士:異論なしです。これがPLだというのは簡単なんですが、こんな境地に至る過程を理解するのは難しいです。やっぱり普通は傷つく、ましてや死ぬのは怖いですし、相手を傷つけるのにも罪悪感を排除することは難しい、相手の幸せを思って自分が身を引くことも選択肢としてあり得ます。

夫人:そうなのよ、「人」の気持ちって単純にはいかないものね。

博士&夫人:「人」の気持ち?……あ、「馬」だった!!

博士:そうなるとですよ、馬って、嫉妬や罪悪感といった感情を持っているんでしょうか。

夫人:快、不快はあると思うの。でも、その不快を引き起こしているものが嫉妬や罪悪感であるとは、わかっていない可能性が高いわよね。

博士:ふむ。なるほど。だから、自分に正直に、青江に対してどこまでもまっすぐになれるんですね。
青江の父が死んだ後、青江とシロが戯れる場面があります。「磯部では青江が全裸になって海水浴をしていた。そしてシロが青江の全裸の、白い肌を傍から丁寧に舐めまわしている。シロは舐めているうちに興奮してきたらしく、顔を高くあげ、歯を剥き、鼻の穴を大きく開いている。そして放尿する。あとで聞いたところによると牡馬が牝馬と性交に入る前は、きっとこの「顔を高くあげ、歯を剥き、鼻の穴を大きく開く」仕草と「放尿」を繰り返すそうだ」つまりこの時点で、シロの方では、気持ちはすでに準備万全だったようです。

夫人:青江の準備ができていなくて、躊躇していたからあの時点まで行為がなかった、ということなのね。

博士:青江は恐れも罪悪感もある「人」ですからね。

夫人:そして、青江は、恐れを乗り越えて愛するものを受け入れたと同時に死に至ってしまった。愛するシロを残して。これは心中になるのかしら?

博士:心中の定義を二人ともがこの世のものでなくなるときと捉えるなら、青江とシロの場合は、シロが青江を咥えて崖から飛び降りたときですね。しかもシロはその時も、「人」の心中とは違って、恐怖だとかそんなものを感じる次元になかったと思います。ただ、青江を取られたくないという単純な思いから、逃げ場を探して飛び降りたのでしょう。

夫人:心中のロマンがないような気がするけど。

博士:いや、こういうのを本当の純粋というんですよ。馬は純粋です。絶対的に。きっと、純粋という概念も知らないんです、自分が純粋であるということも露ほども思っていないんです。これほど純粋なことがありますか?

夫人:馬は純粋、「人」は決して純粋にはなれない、という点で考えると、シロは青江の父親を殺したかもしれない、という点が気になるの。父親が死んだときの周囲の憶測について「しかし、村長さんこういう可能性は考えられませんか。あのシロという馬が、故意に方向転換させ、源さん(青江の父)を馬橇から落す。(中略)シロは青江という娘に惚れているのです。だが、そのことを一昨日、源さんにひどく叱られた。その恨みです。」というのがあるわ。シロが純粋であればあるほど、この記述の信憑性は高まると思うの。青江はどう考えていたのかしら。

博士:父親の件は疑惑ですけど、伍長に至っては確実にシロが殺めています。これは、私の推測ですが、青江は純粋なシロを自分のせいで悪にしてしまったと思っているんではないでしょうか。それで、罪を犯したシロに対する愛おしさが増して、シロに傷つけられることも、破滅に向かうことも厭わないという覚悟が出来ていったのではないでしょうか。

夫人:一種の共犯意識ね。

博士:また、他にその覚悟を形成していく要因として、シロは純粋で、青江に対する気持ちは疑いようがなく、信じられるというのも大きいと思います。普通は、自分以外の人の本当の気持ちというのは、完全には分かり得ないもので、相手がどう思っているのか考えて不安になるものですが、馬のシロの気持ちは人と違って信じられる。誤解を恐れずに言うなら、純粋で単純だから。そこには、ある種の安息があるでしょうね。

夫人:圧倒的な純粋さを前にすると、「人」は無力だということを思い知らされるわね。純粋という獣に憑りつかれたパーフェクトラブ…。自分と相手で満たされた世界ね、私の理想かもしれない。

博士:でも実際なかなか難しいですよ。我々、馬じゃなくて「人」ですからね、破滅できないですよ、生活がありますからね。

夫人:あら、博士、打算的じゃなあい?

博士:そりゃ、夫人は貴族みたいなものですから、憑りつかれ系PLの状態になって、好きすぎてご飯も喉を通らなくなって、毎日和歌を送っていたらいいのかもしれないですけど、私は生活とか色々あるんですよ。

夫人:貴族だって、今はいろいろ忙しいのよ。歌ばっかり詠んでたいけど、そうもいかないの!でも、昔の貴族のような優雅な暮らしをしていたとしても、「人」は決して獣にはなれない。それは、自分が純粋でないことを自覚できるからよ。

博士:よくわかります。PLは決して獣ではありません!!獣になれない私たちだからこそ、オートマチックな瞬間が尊いんですよね。人には「人」のPLがあるはずです。探していきますので、よろしくお願いいたします。

夫人:そういうことね。

参考文献︰『冷やし馬』井上ひさし著(『新釈遠野物語』より)(新潮文庫)

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