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2024.10.12. いきる朗読(研究生日誌/ゆきの)

今日は何を朗読するのだろう?
私はチェックインの時から、静かに楽しみながらドキドキしていた。

準備ワークの “ライン” では、
①    子供の頃、外で遊ぶ派 ⇔ 家で遊ぶ派
   ライン上で近くの人とどんな遊びをしたかシェア
②    最近の自分は、外派 ⇔ 家派
  ライン上で近くの人と、どんなことをして過ごしているかシェア
③    本が好き ⇔ 本を読むのはあまり得意ではない
  ライン上で近くの人と、なぜそうなのかシェア

※ライン:ひとつの線上の両端に相反するある状況を提示し、自分がその線上のどこに位置するのか、実際にその位置に立って確認・表現する手法。

次に、最近のお薦め本を近くの人にプレゼンする。参加者全体には、隣の人のお薦め本を、自分のお薦めのようにプレゼンする。これが面白かった。お薦めされた本の題名や著者名を、意外と覚えていない。読んでみるねーなんて言っていたのに、題名も覚えてないって…。みんなで大笑いした。

いよいよ朗読。今日のテキストは、“本を探す”物語だった。
みんなで輪読した後、自分が好きだな読んでみたいなと思う箇所を1ページ分程度選ぶ。3人で1グループになり役を決めて、その好きな箇所を朗読する。

私は最初どこを選んだらいいのかまったくわからなかった。確かにこの物語のkeyとなるような心動かされるような場面やセリフがあるなとは思った。でもそこを一番読みたいかと言われればそうでもない。困っていると、ふと、輪読した時にそこだけ何か違う色彩が見えたような、そんな描写・表現があったことに気がついた。そうだ、ここだ、ここにしよう。そう、ほかの場面は現実味を帯びたくっきりとしたモノクロだった。でも私がここだと思った箇所は、決して鮮やかではなく少しセピアがかってぼんやりとはしているが、確かに白と黒だけではなく何か色がついていた。私はそう感じた。

普通、色がある方が現実味があり、モノクロは何か昔のことを表現していたりしそうだが、私のその感じ方が我ながら面白い。

3人で舞台に立ち朗読する。ファシリテーターのゆりさんはそれぞれの箇所でそれぞれの人に読み方をアドバイスする。そうすると、どの場面も少しずつ生きていく。朗読している人も、表現者になり役者になっていく。

2回目の朗読の時には、3人の立ち位置を自分で一考する。私も自分で選んだ場面の役者の立ち位置を変えてみた。変えてみたけれど、実はその時何も “考え” は浮かんでいなかった。選んだ場面の色は感じていたけれど、その文章の意味付けが理解できていたわけではなかったので、もしかしたらこんな感じがいいのかなという直感のようなものだった。その立ち位置で朗読してみると「これで悪くはないかも」と思った。

そして、朗読してみる。リズミカルにテンポよくしたが、朗読しながら「違う?」と思った。ゆりさんからも「もっとゆっくり感情を込めながら」とアドバイス。「そうだよね」と思いながらも、なかなかゆっくりにはならない。「あーできないなぁ」と。もっとくり返し朗読したかったが、時間の関係でそこまでとなった。

ゆりさんの言葉を受けながら何度か朗読をしていくと、自分なりにもうちょっとその場面の色付けが見えてくるかも知れないと思う。ぼんやりと滲んだセピアの陰に隠れた色彩が少しずつ表に出てきそうな気がする。くっきりと見える必要はないけれど、いい感じの滲みが残ったところでその色彩を表現できたら本当にいいなぁと思う。

ほかのグループの朗読を観客として観る。やはりゆりさんがアドバイスすると、物語が朗読の作品になり、ただの音読が表現者や演者になり、輪読が朗読劇になっていく。

面白いし、なんだか楽しい。いい体験だ!

「いきる朗読」 

新しいものをいれるのではない。
元々あったものを掘りおこして磨いたり、
ふたしかなものをふたしかなままで受けとめたり、
確信していることをちがう角度で眺めてみたり、
声とことばとからだでやってみる時間です。
岩橋由梨

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