第一回はこちら→
前回はなんとなく終わりに向かいつつある感じでした。そうなると戻ってくる修正もどんどん細々してきますが、根気よく見比べていきます。今回は四稿目からスタートです。
(ゆり)
書いている本人が完成だと言い出しました。ここからが粘りどころです。
どうなったら完成、というのが明確に決まっていないのが詩作のおもしろいところであり、かつもう本当にうんざりするところです。わたしも日々もう本当にうんざりし、そしておもしろがっています。詩作にかぎらず、ひとりで作る作品は全部そうなのかもしれません。
わたしの場合、自分の制作でも、ワークショップの推敲でも、一回目に「完成」と思ったところはかならず疑うことにしています。ゆりさんもコメントをしてくださっている通り、なんだかよくわからなくなってくると完成という気分になってくるからです。まあ、一回目の完成後変えに変えて、肩で息をしながら元の原稿を見たらそれが結局一番良い……ということもしばしばあるのでなんともいえませんが。
「意図だらけの自分の言葉に嫌気がして」とコメントをつけてくださったのもおもしろいです。意図自体は悪いものではないはずなのですが、その感覚はとてもよくわかります。
さて、全体としては確かに完成に近づいてきている……のですが、わたしにはどうしても見過ごせない部分がありました。
(くじら)
はい。前回の原稿では「気がすむ」だった箇所が「気が澄む」に変更されていたため、わたしの方が一気にヒートアップしてしまいました。他人の詩を一緒に推敲させてもらうとき、本来自分のこだわりはそんなに関係ないと思っているのですが、しかし、譲れない部分というのもあります。「この作品をどうするか」ということ以前にある「言葉をどのように扱うか」というところについてだと、どうしても自分の考えるところを話さないといけない、と思ってしまうことがあります……。これはどちらかというと未熟さにあたるかもしれません。(ワークショップのサンプルとしてnoteに公開するとわかっているのに、どうして……)
こうなってしまうと、わたしとしても価値観を賭けた真剣勝負というか、返信を送った後にものすごくドキドキしました。はたして、ゆりさんはこれをどのように受け止めてくれるのか……。
次回、最終回です!
[最終回へつづく]