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Lプロ合宿インタビュー③:おぐっちゃんの経験

2019年9月21日〜23日の三日間、研究所が主催する「プレイバック・シアター実践リーダー養成プロジェクト第7期」(通称Lプロ)の初回となる合宿が行われました。このインタビュー連載は、その合宿で起きたできごとや学びを、メンバーひとりひとりの語りとして記録し、お伝えするための企画です。第二回目は、参加者のおぐっちゃんのお話をうかがいました。


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客席から「向こう側」へ


−合宿はいかがでしたか。

おぐっちゃん:
正直に言うと疲れたのと、あとよくみんな食べた!(笑)

−(笑)疲れた、というのは、どういう疲労感なんですか?

おぐっちゃん:
石和(※)の疲れは、東京でよくあるような、いろんな疲れが重なって身体のどこかが重い……とか、熱はないけど風邪っぽい……とか、そういうのではない。正統派な身体の疲れは感じるけど、東京にいるときのような変な感じはなくなってくる。田舎に帰った時のような感じ。空気が違うのかもしれない。逆に体調を少し取り戻して、良い疲れはあっても翌日も気持ちよく仕事に行けましたね。

(※)石和……今回の合宿の会場は石和温泉付近でした。

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−今回は何を期待してLプロに参加されたんですか?

おぐっちゃん:

もう年齢が年齢だから、これから先、社会とのつながりを持つのがなかなか難しくなってくるだろうし、プレイバックを通して何らかの形で社会とのつながりを持っていなければ、と思って。だんだん仕事もできなくなってくるし、そういうときに社会とつながるためのひとつの挑戦ですね。


−社会とのつながりを持つ手段として、どうしてプレイバックを選んだんでしょうか。

おぐっちゃん:

今までの流れを話すと、僕はあるクリニックの患者として羽地さんに知り合ったんだよね。

僕は、人生で表現することをあんまりしてこなかった。表現する人は「向こう側の人」。演劇を観にいくことはあっても、僕は客席から見ているだけで、舞台に上がる人ではないし、表現できる人ではない。

でも、そのクリニックで仲間たちが、自分たちでちょっとした演劇みたいなことをやることになった。最初の何回かは僕はただ見ているだけで、やっぱり僕は舞台に上がる人じゃないって思っていた。

でも、三回目から役者をやってみたんですね。すごく下手くそだし、演出の人からいろいろ言われるし、一緒にやっている仲間たちの方が表現はうまいけど。僕は人にウケたいっていう気持ちがすごく強かったので、演劇をやれば面白いと言ってもらえる……とか、いや、でもやっぱそれも違うな……とか考えたりして、その中で、「表現する」ってことにおもしろみを感じるようになったのかな。羽地さんのことは二十年も前から知ってたんだけど、そこから羽地さんのワークショップに参加したりして、プレイバックにも興味を持つようになった。

なんだろう。はじめは自分が表現したい気持ちもあったと思う。でも、プレイバックには台本も練習もなにもないじゃないですか。突然パッとストーリーを出されて、自分のインスピレーションで前に出る。何の打ち合わせもなく前に出てよくやるなあみんな、と思ったのが、プレイバックに対する最初の驚きだった。

でも、自分もはじめて役者として前に出てみたら、なんか知らないけど周りの人と息があっちゃう、みたいな瞬間ってあるんですよね。やっぱりそういうときはすごくおもしろかったと感じるし、台本があって人にウケようとする演劇も今まで二、三回やったけど、それともまた違う。これから、ただプレイバックをやっているだけじゃなくて、誰かに提供できる側のこともやれたらな、と思って一歩踏み込んだかな。


−思い切って「一歩踏み込む」、という感じだったんですかね。

おぐっちゃん:

やっぱりね、くじらちゃん(※)の詩とか、うららさん(※)のインプロとか、そういういろんなことをやってきた人たちの中で、僕は何も経験がないから。そういう、いわゆるアート的なことは僕にはちょっと違うのかな。だから、そういう人たちの中に入るっていう意味での勇気みたいなのはあったかもしれない。

(※)くじらちゃん、うららさん……共にLプロ7期生。

−何がその勇気を起こさせるんですか?

おぐっちゃん:

それはわからないな。とにかく、自分は性格として、わりかしなかなか新しいことに飛び込んだりとかしないほうだけど、でもなにかきっかけがあるとやり出せるようなこともある。何かっていうのは具体的には言えないけど。わりかしいつも遠くから見ていて何もしない方なんだけど、ちょっと一歩やってみようかな、みたいなときもある。そういうタイミングだったのかもしれない。

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プレイバックで起きる満足と気づき


−今回の合宿で得られたものはありますか?

おぐっちゃん:

やっぱり、人がいないとできないなというのを改めて感じたかな。自分だけでやろうとしてもだめ。自分がこういう風にしてみたいとか、そういうことだけじゃやっぱりだめなんだな。

自分は、褒めてもらいたいとか、ウケたいとか、人の評価を求める方なんだけど、合宿のなかで羽地さんも言っていた「みんなで作っていかなければ」みたいなところが、今回の合宿で得たことかな。


印象的だったところはふたつあって。ひとつは、ペアで話し合ってプレイバックを作ったとき。そのときできたのが、本人が出てこない劇だったんだよね。主役(語り手)が出てこないで、役者は部屋のドアになってみたり椅子になってみたりして、「帰ってきたよ」「疲れてるね」みたいな劇をやった。見てる人が面白いって言ってくれたんだけど、それは正直僕も面白かった。


ふたつ目が、羽地さんから「セリフを言わないでシーンを作る」と指示が出たとき。お寺のシーンだったんだけど、セリフを言わないで、動きだけで表現する。

僕は特に役が振り分けられたわけではなかったので、静けさを出すために座禅を組んで目をつぶって、何も動かなかったんですよね。それでよかったかどうかはわからないけど、僕はそれを選んだ。で、他の役者ふたりが一言も喋らないで動きをやって。今まで僕が見たことのなかったやり方をそこで見た。
僕は、はじめて一歩も動かないし、目もつぶって、二人の動きも見てなかったんだけど。これは自己満足かもしれないけど、僕は僕なりに「何もしない」っていうことでその場を表現しようとしていた。それはそれでよかったんじゃないかなって思っているんだよね。そういう場のつくり、っていうか、それは自分なりに面白いと思ってる。


−おぐっちゃんはプレイバックのどういうところに惹かれているんでしょうか。

おぐっちゃん:

やっぱり、来るたびに気づきはありますね。人の劇を見ていてもそうだし、自分が演じていてもそうだし。「人はこういう風に考えているんだ」とか、「この人、今日二回語り手をやったけど、最初のストーリーとふたつ目のストーリーはこういう風につながっているんだな」と分かるとか。過去のストーリーを話しているけど、語っているのは実は現在の人間関係のことなんだな、とか。そういう気づき。それが、おもしろいとか、そういう表現で言えるかはわからないけど。

他の参加者の人が語り手になったとき、幼稚園のころに遊んでいる場面を劇で見たんですね。そんな悲しくもないのに泣いてみて、そうすると周りが「○○ちゃん、大丈夫?」って心配してくれた、みたいなシーン。

それを見たあと、語り手が「ああ、私やっぱり関心持たれてた」って一言言ったんですね。やっぱり、劇では過去のシーンを見ているけど、彼女がいま思っているのは現在のことなのかな、と思って。いま彼女は、周りとの関係の中で、「私は関心を持たれてるのかなあ」とか、思っているかもしれない。


僕も、今年の夏にボランティアで子どもたちと行ったキャンプの話をしたんですよ。食事した時に、子どもに「おじちゃんこの中で誰が一番好き?」って聞かれたんです。僕が「いや、そんな、みんなそれぞれ個性があるから……」って逃げたら、「嘘だ」って言われてね。そこで僕はぐさっときた。僕にもやっぱり好き嫌いもあるし、苦手な子どももいるから。

そんな話を語り手として語ったんだけど、そのことよりも僕が一番気になってるのは、そのことをボランティアの仲間にメールでシェアしたんだけど何の反応もなかった、っていうことで。だから、そういうボランティアの人たちとのちょっとした温度差が気になっていて。

そうしたら、それがそこで他の人が話したストーリーとシンクロする。語り手が「ああ、私やっぱり関心持たれてた」と言うのを聞いて、僕にも「僕はボランティアの仲間たちから関心を持たれているんだろうか」という思いがあったんだなあ… …と気づいたり。プレイバックに来るとそういう気づきは毎回ありますよね。


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表現を楽しむ立場から、提供する立場へ


−おぐっちゃんは今後、Lプロでどういうことを身につけていきたいですか?

実践できる場に行ってみたいですね。今まではワークショップを受ける立場だったけど、提供できる立場になりたい。
子供とプレイバックをやってみたいっていう興味があるかな。母子寮とかにも関わってみたい。なんでかはわからないけど、東京に来てから子供達と関わることが増えた。児童館に行ったり乳児園に行ったり、キャンプのボランティアでも子供達に関わったり。
自分自身もやっぱり、プレイバックで人と接していろんなことをやっていると、成長できると思う。今後年をとっていくんだけど、まだ自分がなにかできる場所、そんな風に社会とつながれる場所。同時に、人とかかわっていく中で、自分自身も成長していけることがあるでしょう。


−おぐっちゃんにとって、成長とはどういうことですか?

自分がこれまで思ってきたことを「やっぱり違うのかな」と思うとか、これまで気づいていても変えられなかった、捨てられなかったものが、なくなったり変わったりしたと感じられる、みたいな。ああまた同じことを繰り返してる、と気づいていても、なかなか変えられないものもあるし。

それを成長って呼んでいいのかわからないけど。そういう風に、人と関わっていく中で変化するっていうのかな。僕はどっちかというと変化を恐れてる人間だから、自分ではなかなか変えられない。でも、少しずつ変化していくことで安定するみたいなところもある。その時々で人は変わっていくし、それをうまくやっていくのが、長い目で見ると安定しているんだな。



(インタビュー・記事 Lプロ7期生/研究所スタッフ 向坂)


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