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前回は、もう完成かと思いきや、ゆりさんが「気が済む」を「気が澄む」と書いたことにわたしがヒートアップしてしまい、反省しながら終わったのでした。いよいよ大詰め! 今回が最終回です。
案外(?)とくに反発されることもなく、ゆりさんから改稿が届きました。
(ゆり)
おっ!!!!
最後がまるっと変わっています。
(くじら)
前回、一度ゆりさんの方から「完成」と言われたのを棄却しているのですが、今回は終われるような気がします。時間をあけたり、そもそもの方向性を見直したりするとまたわからないのですが、この方向性ではかなり煮詰まってきているように思えました。足しようはあるかもしれませんが、とにかく余分はかなり少なくなりました。そうすると全体に必然性の糸のようなものが張りはじめ、そうすると、あとは酔狂の範疇で、どこで終わってもいい、というふうに思っています。
どこで詩を完成とするかはむずかしい、という話は前回も書いたのですが、単に詩作という面でもそうですし、ワークショップとなるとさらに要素が増えます。(今回は一応、ワークショップでやる推敲の公開版……ということで連載しています)
とくにワークショップの場合、目の前の詩をできるだけいいものにして完成させる、というのはもちろん大事なのですが、その「いいものである」という判断の主体がわたしではなく、書いている方になることがより大切だと思っています。そしてそれ以上に大事なのは、この詩を書き終わった後、つぎの詩を書いてもらうことです。
できるだけいい詩を目指すことには目指すのですが、そのためにはひとつの詩に拘泥していてはどうにもなりません。現状、わたし自身の実作の上では、ひとつの詩を練っていくことが大切なのと同じように、書いては捨て、書いては捨てと数を重ねていくこともまた大切な気がしています。あとから見返すと駄作に思えるものもたくさん生まれるのですが、それはそれでいいと思っています。
このように口を出して推敲してもらっているときは、わたしとしては本当にいくらでもできると思うのですが、それは単に楽しいからというだけではなく、わたしがとても楽な立場にいるからです。手を抜いてはいけないとはいえ、つべこべ言っているだけ。書いている方に比べたら、気楽で、のほほんとしたものです。わたしもどこかで引き際を見つけなければ、相手の方が倍速でしんどくなっていく、くらいに思っています。そうするとお互いに暗路に入ってしまって、結局、どこかでこの詩は完成したとしても、次の詩がもう生まれてこなくなる、ということになりかねません。
といっても、わたしの方でまだまだ言いたいことがあるけれどもぐっとこらえた……というわけではなく、わたしから見てもふつうに完成でいいと思っているのですが、もしかしたらゆりさんにとっては違うかもしれない……ぐらいの余地も感じている、ぐらいの地点でした。
……と、思っていたら感想が届いたので、完成でした。おめでとうございます!
ゆりさんの感想です。
(ゆり)★感想
>一番興味深かったのは、最後の1っこ手前で私は完全に書き上げたと思いました。
作者がそう思ってるんだから、もう何も言えまい、と思っていたのに、そこからさらに注文が来ました。
はい、まったく恐縮でございます。
ということで、詩が完成しました!!
長きにわたってお付き合いくださったみなさま、そして誰よりもゆりさん!
本当にありがとうございました。
また詩のワークショップも、もしかしたらこういった連載も? していく予定ですので、ご興味のある方はぜひご参加ください! わたしも、詩を書く経験を作ることも、自分自身の実作も、どちらもあれこれ逡巡しつつ深めていこうと思っております。
またお会いしましょう!
(向坂くじら)
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