見出し画像

【きいてみる稽古#20】文脈というメロディを追え(研究生日誌 島本たか子)

20回目のきいてみる稽古のふりかえり

1)今回は、聞き手と語り手が横並びに座って録音をした。この位置関係だと、聞き手は、語り手のリズムや抑揚に同調しつつ、若干相手の言葉にかぶりつつ、言葉を繰り返しやすい。今のところ、これが私のベストポジション。

2)私が言った言葉を、全く同じトーン、リズム、ニュアンスで聞き手が繰り返してくれた瞬間、私は思わず「そう!」と相槌を打っていた。「そうなのよ、そうなのよ。よくわかってくれた。」と、まさに我が意を得たりと言わんばかりにうなずいたのだ。

そもそもこの稽古では、聞き手は語り手の言った言葉をそっくりそのまま繰り返すというルールがある。だから、自分が言った言葉を相手が繰り返すことは最初から知ってるのに、それでもピッタリのニュアンスで返されると「そう!」と言いたくなっちゃうから、自分でもちょっと笑ってしまう。

逆にほんの少し語尾が変わっていたり、ほんのちょっと声色が違っていたりすると、たとえ夢中になってしゃべっていても、頭の片隅でちゃんとキャッチしてるのも感じる。

聞き手から送られてくる微妙でかすかな信号を語り手は常に感じてて、そこにすごく影響を受けながら語っている。だから語りというのは、常に語り手と聞き手の共同作業だなぁと思う。

3)きいてみる稽古では、声を音として感じて、その音の変化に敏感に反応する稽古をしているのだけど、最近は、逐語録を起こしながら、文脈(?)を少し捉えられたらいいなぁと思うようになった。印象的な声(音)の言葉をマーカーで色をつけて、その言葉と言葉の連なりを眺めていくと、なんとなく、15分間の語りの文脈が、見えそうな、でも見えないなーみたいな、今はそんな感じ。

15分間の語りの中で、この人は何を言っているのか全体像を理解しようとするというよりも、語りがどういう変遷を辿っているのか、流れを捉えたい。これもやっぱり音楽的だなと思う。ここで上がって、ここで下がって、ここで持ち直して、ここで最初と同じメロディを繰り返して、ここで転調して短調から長調になってる、みたいな。

タイトルに「文脈というメロディを追え」と書いたけど、別に由梨さんにそう言われたわけではない。ただ、由梨さんのコメントを何回も繰り返し聞いているうちに、文脈を捉えられたらいいな〜と思うようになったのだ。気長にトライ&エラーである。

いいなと思ったら応援しよう!