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暗くて重たい欲求

2024.11.8 2:35

私はしあわせに愛されて育った。
普通の家庭で、なんなら普通よりもちょっと恵まれてるような、そんな家庭。
なんで、こんなふうになってしまったんだろう。

物心ついたときから、物語に出てくる囚われて拷問される登場人物や、いじめを受ける体験談を読んでなぜか羨ましいという感情を持つようになっていた。
寝る前は、自分が捕虜になってひどい拷問を受ける様子を妄想していた。

小学生の頃、私はやったことを母に報告しては弟のできていないところを母にチクり、褒めてもらいまた弟が怒られるのをみて優越感に浸るとかいう最低な姉だった。ずっとわたしが優位でなければならないと思っていた。
寝る前の妄想は続いていた。

中学生になり、1番最初のテストで、学年で1番をとった。そこから、何かがうまくいかなくなっていったのかもしれない。田舎の学校であったため、何番は誰々らしいとかいう噂が広まり、私は友達からも先生からも、家族からも「勉強の出来る子」としてみられるようになった。
何もなかった私に価値が生まれた瞬間だった。
3年間必死に勉強をして学年上位を守り抜いた。(勉強が得意なわけではなくゲーム、スマホ等禁じられていたため、娯楽が読書と進研ゼミだけだったが)勉強を教えて欲しいと頼られた。先生もこの子は賢い子だと特別な目で見てくれているような気がした。自信に溢れ、生徒会にも入り、優しくて努力家な恋人もでき、吹奏楽部ではパートリーダーをした。

完璧な私が誇らしくて仕方がなかった。
褒めてもらえるのが、認めてもらえるのが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

でも、褒めてもらえるのは一瞬だった。
他の時間は出来ない人に、「ちゃんとやってない」人に当てられた。

それは家庭でも同じだった。
弟が少年団に入り、両親はそのことに忙しくなった。
夕飯の食卓ではいつもわからない人の話や知らない弟の試合についての話だった。私はダンス教室に通わせてもらっていたが食卓でその話になることは殆どなかった。食卓で盛り上がっている3人が羨ましかった。
でも弟はスポーツで忙しく、勉強がそれほど得意ではなかった。弟の勉強も成績も進路も、母が心配していた。やっぱりそれも羨ましかった。だからかな、私は必死に勉強し、いい成績を取り、成績表を両親に見せて驚き、褒めてもらい、勉強の得意でない弟を馬鹿にし、満足した。勉強と部活とダンスとピアノ、馬鹿な私に両立できるはずもなく、大好きだったダンスを辞めた。
いつしか「手のかからない、できた子」というステッカーが重たくなっていった。それを剥がしたくて、「私」をもっと見て欲しくて、反抗期は酷かった。 

いつのまにか反抗期は終わったけど、勉強ができないと誰も見向きをしてくれないかもしれないという思いは変わらなかった。恋人も、私が勉強ができるから好きでいてくれているのだと思っていた。
やんちゃで強気な運動部の子が内気な美術部の子を馬鹿にしているのが苦手で、勉強ができないから人の気持ちも考えられないのかと見下した。
同じ部活で不登校だった子がしていて心配されていたのがなんか羨ましくて、親に隠れて自傷行為をはじめた。コンパスの針で肌を掘った。今でも親指の付け根にちいさな十字の跡が残っている。いじられキャラだった私は傷跡を人に見せる勇気もなく、すぐに辞めた。
寝る前の妄想はまだ続いていて、いつしか自慰行為につながっていった。

弟は中学生になり学校で競技の部活は無かったがスポーツを続け、両親が部活を運営するかたちになり、ますます忙しくなった。会話を聞いて嫉妬してしまう自分が嫌で、なるべく家族といたく無かった。高校生になりスマホを持たせてもらいインターネットに触れたとき、毎夜していた妄想や被虐的な願望はマゾヒストと呼ばれる人間性なのだと知った。ネットリテラシーなんて微塵も無かったため通話アプリで色々な自分はSだという人と話し、良いことも悪いことも色々と体験した。容姿に自信のない私でもjkブランドはよく売れた。性的な目的でも求めてもらえるのが嬉しくてアプリに夢中になった。夜更かしを続け授業に集中できなくなり1年生の頃360人中2位だった成績は3年生の頃には50番代まで落ちていた。これで心配してもらえると期待したけどそんなこともなかった。
現実を見るのが虚しくてインターネットに逃げた。
知らない人と連絡先を交換して会ったり罵ってもらい指示に従いながら自慰をしたりした。そこで主従という関係性について知った。いわゆる、ご主人様というやつだ。
わたしはこれをやってみたくて仕方がなかった。

高校を卒業して一人暮らしを始めた頃、ご主人様になってくれるという人と会い、本格的に1年弱学生をやりながら従者としてすごした。色々してもらったり、喜んでもらえるようがんばったりしたが、ちいさな違和感に気がついた。

酷い扱いをしてもらっているとき、別に嬉しくないのだ。私はそれが気持ちのいいものだと思っていた。
そこで私は、今まで酷い扱いを受けている「かわいそうで心配されるべき自分」に憧れを持っていただけだったんだと気がついた。
ひどい拷問を受ける登場人物も、いじめを受けたひとも、わたしはそれをしてもらうことに憧れていた訳ではなくその状態、酷い仕打ちを受けている、心配されて当たり前な状態に憧れていたのだと。

これに気がついたとき、自己分析が曖昧な状態で主従契約を結んでしまったことは凄く失礼なことだと思いそれはもう大後悔をした。
だから相手に正直に話して辞めようと思った。
でもどうしても辞める勇気が出なかった。
毎日のように通話をし、人間じゃないような振る舞いをしてもそれを見て喜んでくれたり、完璧どころか人以下のような状態の私を望むような言葉をかけてくれて、よくできたら褒めてもらえる、そんなご主人様に依存していたのだ。
酷い状態で褒めてもらえると心の欠けているところがふわっと暖かく刺激されて嬉しくて涙が出た。
でも、努力をして自己否定をして、ご主人様に喜んでもらわなければならない。尊厳を捨てなければならない。
厳しくて、温かい沼だった。

私がコミュ障ポンコツだったりなかなか考えが合わなかったり色々とあり主従関係は解消し、私は実家に帰り、主従という沼には近づかないでいようと思った。ひとりで、自分の足でちゃんと立って生きていこうと思った。

思った…でもそんなのできるはずもなかった…!
気にかけてもらえて、時には心配してもらえて、酷い状態でも認めてくれて時には良くできたねと褒めてもらえる…?
わたしが今まで欲しくて欲しくて堪らかったものが全部詰まっているじゃないか!!!!? 


ただ一緒にいて安心して今の自分で良いんだよ、駄目なあなたが好きだよ、今までよく頑張ったねって心から認めて欲しい。
私のことで顔色を変えて心配して欲しいし、焦って欲しい。
抱きしめて、頭を撫でて欲しい。
背中をトントンして寝かしつけて欲しい。
でも、自分で自分を認められていないからゴミみたいに扱われるのも妥当な扱いを受けている気がして安心するんだ。
しんどい時には、思考が回らなくなるように、なにもわからなくして欲しい。
自己破壊的な衝動を受け止めて待てをしてほしい。
待て出来たら良くできたねと褒めて欲しい。
いっぱい泣いても怒っても呆れないで、捨てないで。
あの時寂しかったことを寂しかったねって一緒に認めて、その倍の愛で埋めてほしい。
ここにいても良いんだって心から安心させて欲しい。

ほんとうにどこまで自己中心的なんだろうと思う。
 
でも多分今のままでは、自分で立って歩くなんて到底出来ない。死にたがりの私に誰か首輪をつけて繋ぎ止めて、大きくて温かいなにかでくるんでくれないかなぁ。官能小説の読みすぎかな。

あーあ。人間辞めたいなぁ。

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