明るい気持ちは不安の種かもしれない
ごあいさつ
こんにちは。適応障害で休職していますさくらきゅうりと申します。このあいさつも慣れてしまっているのに驚きです。今日は、今日の思ったことを共有しようと思います。以前のだらだらした日記みたいなものだと思ってください。
今日なんか気分明るいな…
今日の午後になってそんなことを思いました。不安や死にたい気持ちも出てこないなんて、なんだか逆に不安になってきます。おかしなものだと自分でも思うんです。恐らく、炭酸リチウムに変更して効果がみえてきたからなのかなと勝手に推測しています。
勝手なもので人間の心情って分からないですね。あって困るものなのに、ないと困ってしまうものだったのかもしれません。以前、読んだ著書にて「二次利得」という言葉がありました。簡潔に私なりの解釈でいうと「そのことを持っていることで得られる利益のこと」を指しています。例えば、過剰な不安は、それ以上自分が傷つかないために必要な不安ともいえ、一種の自己防衛のものだと考えています。私にとって、不安や死にたい気持ちは適応障害という診断をもらうために利用しているのかもしれません。それがあるから、今の生活をしている、仕事を休ませてもらっているということのように思えるのです。だから、それがあまり感じられない今日は不思議な感覚なのです。
不安はないけど、不安がないことで不安がある?
本当に笑っちゃうくらいおかしな文ですね。
ナイトくん
著書「わたしが「わたし」を助けに行こう」ではこういった自己防衛を「ナイトくん」と示し、自分を守ってくれていると記しています。そして、この著書内で自分が一番好きな文があります。
「あなたの心は、現時点でできるベストを尽くしてくれています。」
どんな人も、不安や焦燥感、幸せいろいろな思いを持っていると思いますが、それはどんな状態であっても、「ナイトくん」があなたのことを第一にして考えてくれた結果起きていることなんだそうです。
私がこの著書のあと、自分の「ナイトくん」を見つけた例を書きますね。
【夜眠れない私】
どんなナイトくんがいるのか:明日が来ると辛いから。
どうして辛いのか:親の目がある、仕事をしていない、何もしていない自分への無価値観がある
これを知ってから、自分の思いのコアとなる、無価値観、しいては他者評価で生きてきた自分を認知するようになりました。
明るい気分は不安の種かもしれない
結局なにをいいたいかというと、「今まで寄り添ってくれていた不安がないと無価値観をより一層感じてしまっている」のかなと思います。ただ、内服で不安軽減につながっているんだと思っています。そして、普通に考えればこの状態は目指していた状態で、嬉しいことです。
だからこそ、この状態でいいんだと思えることが必要かなと思います。完璧を求めていたらきりがないとは分かっていますが、今の心の状態を認知し、その状態を「自分で認める」ことができれば、「自己受容」並びに「自己肯定感」につながるのかなと思います。
★自己受容について教えて下さった方ありがとうございます!以前のコメントで頂けて、調べてみました!
〆の挨拶
最後はなんだか哲学っぽくなっちゃいましたが、内服で不安が軽減されているという事実は見えてきました。それで見えてきた無価値観との付き合い方をしっていきたいなとか漠然に思っています。
余談にはなりますが、以前お話ししていたコミュニティ作成を少しずつ進めています。形になれば、また共有させてください(__)