自由の本質
自由が欲しいと人は言う。
しかし私は「自由への渇望」に少々疑念を抱いている。
人間は完全なる自由を扱うことができない。
休日ですら何をすればいいのか分からないのに、鎖を全て放たれたらただ茫然と立ち尽くすに決まってる。
ラーメンズのコントにこんな台詞がある。
時間が欲しいけど いざ自由って言われると
何していいかわからない 命令されたい 縛られたい
自由が苦手な切ない人間(『FLAT』より「プーチンとマーチン」)
深い。一度は経験したことがあるのではないだろうか。
そう、人間は自由が苦手なのだ。
それなのに自由を欲しがるジレンマ。
「ある程度の束縛の中の自由」が丁度いいのかもしれない。
局限されすぎた選択肢は閉塞感があるが、莫大すぎると迷ってしまう。
ではジャストな自由とは何か。
それは「バイキング」ではないかと思う。
いわゆる食べ放題というやつだ。
限られているが多数の食べ物があるので、迷いと自由の中点にある気がする。
身近に「自由の本質」を体感できる機関だと思う。
バイキングよりもレストランで指定されたメニューの方が性に合う人は自由が苦手なのかもしれない。
自由とはそんなものだ。我々の思う以上に浅く深い。
だからこそ自由の本質を見据えるべきなのだ。