人が人であるために
虐待防止の面談を続けていて、一般社員の方々や、その真逆の上司の方々の話に触れている。
続けているとハッキリ感じる違和感。
現場と事務所の違い。
高齢者施設なので、もちろん殴る蹴るなどの身体的虐待は無い。いや、中にはそれが起こってしまった施設もあるのだろうけど。
その手前の、言葉の暴力とか無視とかスピーチロックとかいうことなら正直言うと日常茶飯事なのかも知れない。何故ならば相手にとって何が暴力か?という物差しにゆだねられてしまうからだ。
滅茶苦茶丁寧な敬語に孤独感を募らせる高齢者さんだっている。なのでお偉いさんたちが考えているほど単純な問題ではない。だからこそ考えなければならない。
だから、短い言葉でも長い言葉でも、『虐待はダメですよ。』と上からモノを言うような問題ならば効果ゼロ。それどころかやらない方が現場のためだと思うのだ。面談の間時間を奪われるわけなのだから。
虐待だと言われる言動を高齢者にしてしまう人というのは、知力、体力、情緒、いずれかの限界を超えてしまった人。
資格を取って来ているので皆さん知力はある。ということは体力的限界か情緒的限界が来てプロではいられなくなった瞬間があるということなのだ。
だから『ダメですよ』なんて知力を下に観た言い方が響くわけがない。
一人一人話を聴いていると、皆良いところがある。
それなのにチームになれていないところが最大の課題。
戒めようとしている側の人々がそれに気が付けば良いなと思う今日この頃。