多分私は何かの手のひらの上
数日おきに思いもかけぬ方々からラインやショートメールが来る。直接でない場合は伝言が伝わって来る。
それは、8月末まで勤めていた特養のあらゆる利用者様のご家族様たちからだった。
その施設はコロナ渦になってからは基本的に面会謝絶になっていたが、この状態が長期化して来てからは色んな方法を考えた。
窓越し面会を行ったり、施設のipadでライン電話を使ったり、はたまた本当に急変のおそれがある時などは直接お会いして貰っていた。これで会えないままなんて耐えられないと思って。
ラインやショートメールや直電は、勤めていたときからよくお話していた方もいれば、滅多に話さない、いや、一度たりとも胸の内を話してくださったことが無い方にまで及んだ。しかも、皆、長文。
「施設に電話をかけたら退職なさったと聞いて、ただただ驚くばかりです。」で始まり、あの時もこの時も・・・と色んな思い出を綴って下さり、長文の果てには「ありがとうございました。あなたは素晴らしい看護師さんです。」と記して下さっていた。
おかしなもので、あまりお話したことがなかったご家族様ほど、そんなことを思っていて下さったのか・・・と涙がハラハラと落ちる。
「お身体に気を付けて頑張って下さい。」
「ご健勝をお祈りしております。」
わざわざ申し訳ない。挨拶もしないでごめんなさい。
喜びや爆笑や、またある時は激しい怒りややるせなさや・・・様々な日々をご家族たちも頑張って来られた。これからも。
私は若い頃から、患者さんのご家族は面倒だ、うるさくて嫌だ、愛想がないからすぐ誤解される等、苦手意識が強かった。ただ黙々と仕事をするだけの不愛想なナースだったはずなのに。
この年になってから、振り返ればいつも誰かが見守って下さって来た事実を痛感して喉のあたりが詰まって、鼻につーんと来る。そういうメッセージを見る度に感謝の涙が出てしまう。
今日、新しい職場で、介護士さん同士が「〇〇さんがお亡くなりになったんだって。」という会話しているのが聞こえた。
その珍しいお名前は、前施設のショートステイのご利用者様の名前だった。
おそらくはこの施設をご利用なさったこともあるのだろう。
例え同じ区だとしても、だだっ広いし高齢者施設なら数えきれないほどあると言うのに、何という御縁だろう。色々と訊きたいことはあったが、黙って聞いていた。
人の生にも死にも関わりたくない。
病院ナースの頃からそう思って来た。私はしんどいのは大嫌いでエネルギーの低い人間だったはず。
それなのにまだこういう仕事をしている。
いや、本当に嫌だったら逃げる方法はいくらでもある。それなのに関わっている。
もはや死を恐れはしないのだが、むしろ幼い頃から、死はすぐ隣にあるのだが、それだからこそ生が輝くのだということを知りつつも、時折その強いコントラストが嫌になる。
ただ、今日も、私は知る必要があったらしい。遠く離れた施設の片隅で、誰かが、あなたのことを「ご自宅で穏やかに永眠されたらしいよ。」と言う言葉を。
勤め始めた一週間ほど前、変わった建築物で面倒臭いなあと思っていた施設。あんなにも迷路のように迷っていた施設。
今はもう迷わない。右に曲がって左へ曲がって、必要な場所をくるくると回り、迷わず必要な人のところへ走って行けている。
理由は分からないけれど、私は全ての迷路や全てのパズルが解けるまで頑張るらしい。
好きだろうが嫌いだろうが、人にはそれぞれ役割があるらしい。