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勇気のインナーチャイルドヒーリング

人それぞれ、幼少のみぎりより、色んな辛いことを体験なさって来ているものだけど、余りにも辛いことだと自らの記憶を消すということをする。

憶えていては、生きるのに不都合だ

そう判断した自らの無意識が何も無かったことにする。この防衛機制という誰にでも備わっている無意識の装置は、非常に偉大なものだとつくづく思う。

本当にそれほど耐えられなかったかどうか?というのは、さておき、特に幼少期などには、人間の脳は、この無意識の判断に従う。人によっては『小学5年生の頃の記憶が丸ごと無い。』と仰る人もいるくらいだ。(その時代に何かあったんやね、きっと。)

その偉大な無意識の判断に従って私たちは、やがては身体や時代が大人へと移行していくわけだが、この過程で色々な不都合が生じて来る。

特に、努力家で頑張って、真面目に生き抜いて来た人ほど、先の”忘れる”、もしくは”押し込める”という防衛機制を繰り返しやって来ているので、現在の自分が『何だか、おかしい。何だか上手くいかないなあ。何かが変だなあ。』と、不協和音を発して来る。

実際のその時の記憶を保持している人も居れば、普段はすっかり忘れていて、

もう思い出しても耐えられる、立ち向かえる強い自分になったぞ。今なら思い出していいぞ。

と許可した脳が、それを思い出せたり、あるいは深く取り組んで昇華させようとする。

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いつぞや”防衛機制という麻酔”という記事を書いたことがあるけれど、生きるために記憶を抑圧したり改ざんする脳の機能は、優しい。

そして、『もういいよ。強くなったよ。』と、思い出せてくれたり、課題として自分の元へ持ってくる脳の機能は、偉大なる教師だ。一人一人の中にこの神の御業を成すかのような教師がいると思うと、これは素晴らしいことだ。(あ、そうか。人間がこういうふうに作られていること自体が神の御業なのかも知れない。)

自分を癒すのは、実のところ、カウンセラーではない。自己啓発セミナーでもないし、宗教でもない。その癒すことに対して絶妙なタイミングで許可を与えている、素晴らしく信頼がおける自分自身だ。

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幼い頃、ある人は孤独の荒野に、幼い自分自身を置き去りにして来た。

またある人は、両親の離婚に直面し、別れた親御さんの方に自分自身の一部を置き去りにして来た。

ある人は、放課後の教室へ置き去りにして家に帰った。

生きて行くには、弱い自分が不都合のような気がして置いて来た。

あそこにも、ここにも、色んな時代にインナーチャイルドが居る。

でも、実は、皆、本当の自分自身。

本当のところ、人は、その子たちを思い出したり、話しかけたり、迎えに行ったりする作業で癒され、徐々に本当の自分というものを完成させていく。

こう言うと、とても大袈裟な作業のように聞こえる。あたかもセラピストが関わらなければならないかのような。でも、そんなことはない。

ある人は、幼い頃、缶の焼き海苔をこっそり食べるのが楽しみだった。だから、大人になった今、海苔を食べて癒される人もいる。

ある人は喋れなかった分、今のパートナーや友人に沢山お喋りをする。

そんな些細なことで良い。

その繰り返しで、現代の自分に血が通い、より自分らしさを取り戻していく。

でも、辛かった頃の自分を思い出すのは、当時の心情に戻り、とても悲しかったり苦しかったり、恥ずかしかったりする。

だから、インナーチャイルドヒーリングに取り組む人は、皆、とっても偉大な人なのだと、私は思う。

一つのストーリーを話し終えること = 一つの時代の自分を救い出すこと

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そうすると、それに付随した記憶が次々と蘇るので、それはそれで大変な作業だけれど、私は、そういったことに向き合う人のことを『勇者』だと思う。

また自分自身にそれをして来た人ほど、共感能力が高く優しい人であったりもする。

ある方の記事を、noteで見かけて、そんなことを思い出しました。

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今日が良い1日でありますように。

いってらっしゃいませ。

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