歌と野球と介護と彼女
今日、施設の昼休みに、かつてのキャッチボール仲間がプロ野球チップスを大量に持って遊びに来た。昨年の春までうちで介護職をされており、退職の時期には既にコロナ渦でろくに送別会も出来なかった。
その後一度一緒に地ビールを飲みに行ったけど、あちらも今は障害者の方々のグループホームにお勤めなのでお互い気を付けなければということで、かれこれ半年ぶりだった。
出会いは4年ほど前、勤めたての職場の喫煙所で一人でタバコを吸っていたところ、同じ灰皿を大きめの円で囲んでいる女子グループが悪意のある噂話をしていた。
私はまだ顔も名前も憶えていないので誰のことを言っているのか分からない。
「ねー?」と同意を求められても微動だにせず無表情でタバコを吸っている多分感じの悪いやつだった。いや、多分顔見知りになっても参加していない。
でも、私の感じ悪さなんて小さな出来事かのようになる怒号が飛んで来た。
「やめろよ!」とその人は言った。「本人に言えばいいじゃないかよ。新しいナースさんも困ってるだろ。」と。
グループは散ってその人だけが残ったが、お互い無言のままその場を後にした。
しかし、その後その人の仕事ぶりを見て色々と驚くことがあった。
介護職の人がその日お風呂に入る人たちのバイタルを測ってナースに入浴許可を貰いに来るのはいつものことだが、ある日、彼女の右頬が真っ赤に腫れている。
私はその腫れた顔に釘付けになっているのだが、その人は普通に喋り出す。「あの、Kさんを、先にお風呂に入れてあげて良いですか?すこーし、血圧が高いけど、カラオケが好きなんですよ。参加させてあげたくて。」
Kさんというのは当時胃ろうが入っていたお婆ちゃんなのだけど、滅茶苦茶狂暴だったので1番に名前を覚えた方だった。
多分血圧を測っている時に思いきりグーで殴られたのだろう。それなのに「聞いてます?カラオケが大好きな人なんです。間に合うように先にお風呂に入れても良いですか?」
ああ、はい。
そんなやり取りの後、しばらくしてピッチが鳴った。お風呂上りの人の処置に呼ばれたのだ。
Kさんの胃ろうの周辺は長年の胃ろう漏れで真っ赤に爛れていた。だから、それを触ろうとする人を殴る。痛いのだもの。その殴る手を抑えようとする人のことも殴る。
その光景は見たことがあったのだけど、ビックリしたのは、その大浴場でKさんの手を抑えるというよりは両手で包み込みように握る彼女が、突然歌いだしたこと。
昔よく流れていた”長崎は今日も雨だった~♪”ってな曲なのだけど、今まで聞いたこともない よく透る美声だった。演歌とは思えない。でも、しっかり演歌だ。こんなに良い歌だっけ?多分彼女が歌うと皆そうなる。
すると、Kさんはたちまちその人と目を見つめ合い一緒に歌いだす。「ひとり ひとり さまよえば~あ~。」。
呆然としている私に「早く処置して!」と言っては、またKさんの目を見て歌いだす。そして、処置が終わった後「さあ、カラオケが待ってるよ。」と、鮮やかな手技で服を着せていた。
その歌声とKさんや他のご利用者様への優しさがずっと心に残っていた。
それからしばらくして、また喫煙所で会ったとき、あくびをしながら「あー、良い天気!キャッチボールでもしたいなあ~。」と呟いたところ、「今、何て言った?」と言われた。
彼女もそう思っていたらしい。
互いにグローブを持ってくるように約束した。
昼休みが一緒の時は、駐車場でやろう。まさか、車にぶつけるほど下手くそではあるまいな。
と言っても私はずいぶん長らくやっていなくて、わざわざ新しいグローブを買った。彼女はお兄ちゃんのを借りて来たのだと。
「そんなに細くて小さくてほんとに出来るの?」と言われたが、すぐに理解してくれた。「おお、体重載せて来るねー。身体使ってんねー。」
最初は女子に投げる調子の人も、一旦やり出すと理解してくれて皆こうなるのだけど、彼女の剛速球は凄かった。4年近く受け続けているうちに新品だったグローブが良い感じにこなれた。
最初は施設でキャッチボールだなんて偉い方々に怒られるんじゃないか?と思ったのだけど、意外なことに段々参加者が増えてワーワー大騒ぎになった。
ご利用者さんもご家族も足を止めて見に来るし、今まで喋ったこともない、どんな人かも分からないパートさんとかベテランさんとか、他所から来た業者さんとか、色んな人が参加して来るので面白かった。
しまいには野球なんてやったことないというバスケ派やサッカー派の人たちまでグローブを用意して参加して来た。
ボスやその上のボスが来るとグローブを後ろ手に隠して空を見ているふりなどしていたが、「やめないでよ。やめなくて良いよ。」と何故だか皆笑っていた。
良い大人が皆でバッティングセンターに行くなどという試みもあった。
二人で、ある時は今の相方のKと三人で神宮に何度も繰り出し、野球観るだけではあきたらず、試合前に延々キャッチボールをした。たまたまヤクルトファンだったなんて。
時が過ぎて、幾人かが違う道を歩み始めた。私もまたいつまでここにいるかは分からない。
でも、今でも時々集まっては、近所の野球場、ある時は上野の野球場など、借りれるところを借りては集っている。
とは言うものの、一緒に働けなくなることは寂しいもので。
約1年前、お別れするその少し前、彼女はおうちの隣に建っているスタジオで私のために一人コンサートをしてくれた。
実はかつてプロを目指していて、書き溜めた曲や詩が沢山あったのだ。道理で歌が上手いはずだよね。いや、上手い人はいっぱい知っている。でも、何かが違うんだ。貰ったCD聴いていると今でも時々泣けて来る。
彼女は夢敗れた人だろうか?いいや、違う。今では障害を持つ人たちとバンドを結成していて、時々ライブをやっている。その盛り上がりようと言ったら凄いパワーだった。
彼女という素晴らしき友の話をすると、ついつい長くなる。どこにも当てはまらないし、例えられない。
そんな尊敬している気持ちは言えなくて、久しぶりにあった本日の昼休み、プロ野球カードを取り合って本気で揉めていた。
いつか。いつかまた。皆で野球をしよう。ライブにもまた呼んで欲しい。
地ビールも飲みに行こう。野球も観に行こう。神宮のあの花火を忘れない。野村監督が両脇を抱えられながらバッターボックスに再び立ったあの夜も忘れない。
生きている限り次の物語がある。
いつか、いつか。きっと、もうすぐ。
互いに頑張ろう。