
歌さんの脱出 成功
昨日、早く寝なければ、寝なければ・・・と焦れば焦るほど眠れなかった。
施設のベッドで一生懸命呼吸をしているであろう歌さんのことを考えていた。
「祈ろう。」という言葉が浮かぶ。絶え間ない考えに句読点を打つように。
しかし、今度は、「でも、いったい誰に、何を祈るのか?」という言葉が浮かんで来る。
だから、昼間に感じたことを思い出すことにした。祈るというよりは、祝福するということだ。彼女のこれまでの素晴らしい人生に。そして、旦那様にこよなく愛されている今、この時、今夜の彼女の人生に。
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少しウトウトとしかけた早朝5時半に、携帯が鳴った。施設で何かあれば鳴ると分かっているのに、実際に鳴ると、いつも心臓が飛び出しそうになる。
「呼吸のリズムが変わりました。痰が溜まっています。」という連絡。
施設への道を走る、走る。前の自転車に追い越しをかけて、クラクションを鳴らされたり。息も苦しい。でも、止まりたくない。
施設に着いて、すぐ吸引をしつつ、電話をかける。
「お父さんですか?いらした方が良いです。」と言うと、「分かった!ありがとう!」と即答で電話は切れた。おそらく私と同じように、お父さんも眠れない夜を過ごされたのだろう。
お父さんは間に合った。そして、意外にも冷静で、また例のipodに収録されている彼女自身の歌声を流す。
白い手を、大きな両手で包み、声にならない声を出して、うんうん、うんうんと頷いている。
一旦止まって、1,2,3,4。そして、またヒューっと息を吸い込む。チェーンストークスという呼吸だ。ちゃんと、懸命に頑張っている。
つい先日までお元気だった頃、歌さんは、いつも「見て。」と言っていた。タオルやエプロンを畳んでは、「見て。」。塗り絵をしてみては「見て。」。ご飯を全部食べたときも、ジュースを飲みほしたときも、「見て。」。
失語症で単語しか出て来ないけど、喜怒哀楽が激しくて、最小限の発音で、きちんと要望を表現していた。私が忙しくて、ちょっとでも「はいはい。」と言って、そちらを見ないでいようものなら、腹だたしげに腕をトントン!と痛いほど突いていた。だって見て欲しかったんだから。いつでも見て欲しかったのだから。
ベッドに横たわっている白い歌さんと、かつて隣の椅子に座って、活発に自己表現する歌さん。私の頭はどうかしていて、その二つの映像を交互に見ている。
見てるよ。ちゃんと、見てるよ。歌さん。
「見て。」
見てるよ。そして、忘れないよ。私も見習って、きっとそうするよ。頑張るよ。
お父さんや他の職員に交じって私も、歌さんと一緒に息を吸い込んだり、そして、数秒止まると、「歌さん!歌さん!」と叫び、吸ってくれると、少しほっとして、また一緒にリズムを合わせて、皆で呼吸をしていた。
分かってる、分かってる。知ってる。チェーンストークス呼吸でしょ。あたりまえだ。生理学だ。でも、やっぱり、止まると、理屈抜きで揺り動かしてしまいたくなる。止めないで、止めないで!吸って!見てるよ、ちゃんと、皆で見てるよ。
いつも思うのだけど、旅立ちの過程は、まるで出産のようだ。いや、多分きっとそうなのかも知れない。
歌さんは、その間も終始穏やかな表情で、ある瞬間、もう二度と吸うことも吐くこともやめてしまった。
酷く自然だった。その瞬間も穏やかだった。
”ごめんね。”
いいや、こちらこそ、ごめんね。魂の脱出を邪魔しちゃったかも知れない。
その時、お父さんが、びしょ濡れの顔で「皆さん、今まで応援してくれて、ありがとう。」と言った。
”そうよ。応援だったよ。邪魔じゃなかったよ。”
それは、どこから聴こえた声だったのだろう。
ipodから流れる曲は、丁度、”サン・トワ・マミー”が終わって、”愛の賛歌”に移り変わったところだった。
離れては出会い、出会っては、離れ・・・、きっとまた、二人は出会うんだろうね。
***
仕事しなくちゃならない。
一人の気持ちが落ち着いて、涙が乾きかけると、誰かがまた泣き出すので、またそれを見て、誰かが泣き始める。
もう、いい加減おかしくて互いに泣き笑いしながら廊下ですれ違うという光景があちらこちらで見られていた。
歌さんを、皆で正面玄関から送り出した今日。
空は青空だった。
苦労がしみついたパジャマという抜け殻を床に置く。
そして、お父さんのご希望で、素敵なドレスにお召替えをさせていただいた。スパンコールのドレスに着替えた歌さんは、とても綺麗だった。
そして、私たちの心と、おそらく、これからの日々には、ポッカリと大きな穴が空いた。
それが、彼女がここに居たという証なのだと、あきらめることにした。
声が、言葉が、出なくなった晩年も、きちんと最後まで生きた人だった。