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読書録ー『世界は「夢組」と「叶え組」でできている』

サクちゃんのことを最初に知ったのは何でだっただろうか。

セブンルールは後から観たはず。きっとTwitterで誰かが「夢組と叶え組」のnoteをシェアしていたのかな。誰だか忘れちゃったけれど、その人本当にありがとう。

「やりたいこと」をはっきり言えたことのない私は、そのこと自体が大きなコンプレックスだった。ゆとり世代ど真ん中で、個性の尊重という御旗の下、ことあるごとに「夢」「やりたいこと」を言わされ書かされてきた。その度に騙くらかしながら言ったり書いたりしてきたものの、「本当はよくわからないんだけど…」とやきもきしていた。

そんな私にとって「叶え組」という言葉は大発見だった。そして、このnoteの本題じゃないのだろうけど、心をついた一節がある。

「やりたいことがない人」も、やりがいはほしくて、やることに意味がほしい。あなたがいるから助かる、あなたがいないと困る と言われたい。

そう、そうなんだよ、わかってる!と、傲慢ながらも思った。

これがしたい!という「行動の欲」は薄くても、やりがい・やる意味を感じられているというような「状態の欲」は、ある。やりたいことはないけど、なんだっていいという訳ではない。

自分の中で気持ち悪かったこの矛盾が、整理できたことでちょっと肩の荷が降りたようだった。

そんなサクちゃんの本が出ると聞き、Amazonに現れた日に予約した。

「やりたいこと」がない叶え組の人たちがどうしたら生きやすくなるか、きっとそれに答えはない、というかその人その人オリジナル過ぎて万人に通じる一つの答えなど出ないだろう。この本は、その答えじゃなくて、自分で答えに辿り着くためのヒントを山ほどくれる本だと思う。

優しいけど、ありがちな「そのままの自分でいいよ」と言う訳でもない。時々急所を刺されるような言葉もある。特に私のトリガーポイントだったのはここだ。

他人の考えや気持ちは、自分のことではないので正確にわかるはずがない。雑に言うとすべて「思い込み」で、まだ現実には起こっていない想像に傷ついている状態だ。すこし厳しい見方をすると、他人の目が気になると言いつつ、実際には自分の頭の中だけで展開されていて、他人のことなどすこしも見えていない状態だとも言える。ーp.109

気がつくと「自分なんて」と思ってしまう根強い思考のクセ。謙遜しているようで、勝手に一人で想像して傷つく自傷行為は、実は自慰行為だったのだと気付かされた。面と向かって壁を乗り越えようとしたり、人と向き合ったりするよりも、「自分なんて」と言っていた方が楽で、気持ちがいい。本当は周りの人のことなどこれぽっちも見ていなかった、滑稽な自分が鏡に映ったようでものすごく恥ずかしかった。

振り返ってみると、そんなことで拗らせてしまった人間関係がいくつも思い出された。「相手は自分のことなんて別に大事に思っていない」と勝手に引いた前提によって、傷つけてしまったことが何度あっただろう。途方に暮れてしまう。

だからこそ、今私は自分の姿を過不足なくわかりたい。卑下することで予防線を張るのでなくて、自分自身にくらい、素直な自分をわかってほしい。だから、自分の思い込みを剥がして、見えなくなっている部分をちゃんと見たいのだ。だから、ちょっとずつ自分を振り返って文章にしてみることにした。

触発されて書いた「素直さ」についてのnoteはこちら


なかなか外に出づらい今だからこそ、サクちゃんにもらったヒントを活かしながら、自分とおしゃべりして考えたいと思う。

叶え組のみなさん、一緒にどうですか?



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