論理から感情へ。治らないような深い傷をつけられたい人生。
深夜1:53、日は回って4/16。
大好きなピコンさんの曲を聴きながら頭の中を駆け巡ったことを、粗削りではあるが、携帯に打ち込んでいく。
気づいたら僕は、理性的な人間になっていた。お酒を飲んだ時でさえ「僕は理性を絶対に失わないぞ」「お酒でヘマ外すなんてバカらしい」と、素面の時より理性的な人間になる。
11歳の時まで泣き虫だった。
隣の席の気になっていた女の子に「ほんとバカ〜笑」と揶揄われただけで涙し、大好きなスポーツでコーチにボールを取られてつまづいただけで涙した。
「○○、すぐ泣くよね〜」と友人に言われた瞬間から、僕の涙腺は活動を停止し始めた。
正確に言うと、涙腺による活動をコントロールし始めた。
自分の第一線で沸いた悲しみに対し、拳10個分ほどの距離を置くようになった。感情が湧いたとしても「僕は今、悲しんでいるんだなぁ。」「僕は今、ショックを受けているんだな。少し寝たら落ち着くだろうな。」と、頭の中を占めるものは悲しみとは違う海だった。
そして体の表面で、「僕は今笑っている。」「僕は今泣いている。」と表現するのが上手くなった。
「この映画のこの場面はすごい共感するな。ちょっと涙を流して悲しんでみよう。」
「試合に負けたなぁ。勝てると思ってなかったしあんまり辛くないけど、みんな泣いてるし、泣いておこう。」
大人に近づいた、といえば否定はできないし、自分を客観視する能力が育ち始めたのはこの頃であろう。そのおかげで、何事に対しても理性を保つことで自分の意見と感情を完全に区別し、違う立場の人間と議論する時も落ち着いて考えを整理することが得意になった。この点は僕も自分の良いところであると思う。「自分の嫌いなタイプの人間は、感情を落ち着かせて議論することが不可能な人間である」と公言するほどに、僕は理性的な人間に向かう間はブレーキを踏まなかった。
そのためか、高校生の時に米津玄師さん(本名には敬称をつけて呼びたいというエゴである)の曲にどハマりした。特に、彼の負の感情を、誰も思い付かないような言葉や角度で汲み取った曲に惚れ惚れとした。
自分が、理性的な人間であることを目標として作られた作品であるとするならば、彼の作品は、真反対のコンセプトによって作り上げられた作品であった。
僕は、対極の人間たちに憧れていた。
彼の曲にハマった16歳の時から、僕は音楽鑑賞が非常に好きになり、そしてその分野は「アゲ」か「サゲ」かで言ったら「サゲ」、ネガティブで、背景に「別れ」がある繊細な曲を好むようになった。
【そこからハマった歌手一覧】
米津玄師(ハチ)、須田景凪(バルーン)、ぬゆり、indigo la End、n-buna、ヨルシカ、キタニタツヤ、ピコン、カンザキイオリ
(そして、高校2年生の時、F(@no_001_bxtxh)さんの紡ぎ出す言葉にどハマりした。Fさんについて語るとキリがないのでここでは割愛させていただく。)
高校での3年間、同級生がそれぞれ2人突然亡くなったことを耳にする。高校は1学年700人いるマンモス校であり、8割の人間のことは顔も名前も知らなかった。その2人もそうだった。僕は「身近な人との別れ」を経験したことがない。過去の彼女は2人とも僕から告白し、僕が愛想をつかして僕から振った。家族も友達もみんな健康だった。
「身近な人を失うこと」の辛さを推察しつつも、それを体験している人間、もしくはその辛さと共存して生きている人間に羨望の気持ちを抱いていた。決して気を衒っているわけではなく、純粋に思っていた。そのためか、高校で亡くなった同級生と友人関係にあった友人(つまり僕と亡くなった方との共通の友人)に、「悲しい?」と浅はかな言葉を発し、大変嫌がられたことを覚えている。それほどに僕の好奇心は働いていた。
数年に1回、悲しみを抑えきれず、末梢の神経から心の奥底までブルーになる瞬間があった。
僕は理性的な人間で、明るく楽しい人間であるという印象を殆どのコミュニティで有しているため、その爆発が起きた瞬間は、とにかく別人格のように悲しみ、時には泣きじゃなくり、時には顔の筋肉を働かせず、言葉を一切発さなくなる。ただただ周りを困惑させる。
その瞬間は悲しさで満ち溢れているものの、数日経って悲しみが晴れた時にそのことを思い出すと、非常に快く感じ、強い達成感を得られていた。
そんな自分を認識したのは18歳の時である。
20歳。鬱になりかけた。
とある目標を掲げ、努力しようと出発して1週間、悲しさ・辛さといった逃げるための感情を無視し続けた結果である。
鬱病とは診断されなかったものの、そこから僕の生活は一変した。一度壊れたガラスは元のガラスには戻らない、物理的に戻したとしても、それはヒビだらけで、いつ再度壊れてもおかしくない。
「自死」の2文字が頭をよぎり始めるようになった。
その壊れた心が求めていたものは、「共感」であった。今まで憧れていたアーティストの曲、新しく知ったアーティストの曲、そしてFさんの言葉が、確かに僕を救い、堕落し、乾き切った僕に水をくれていた。砂漠を数日間歩いた後のオアシスのような、背負っていた20kgの荷物を下ろした時のような、強い安堵感を彼らに与えられていた。
気づいた時には、僕はアーティストになりたい、と思っていた。ここでいうアーティストとは、歌を歌って日銭を稼ぐ人間という意味ではなく、もっと広義の、自分の感情を自分にしかできない方法で紡ぎ出し、世に発信することで、同じように孤独な思いをしている人間に「お前は孤独ではない」とぶん殴る人間を言う。まさに、堕落していた時に助けてくれた彼らのような人間たちだ(もちろん彼らは僕ら個人のことを認識していないであろうが)。
僕は「感情を発露することは、それに対する正解(正論)を分かっていても実行しない弱い人間であるということをも発露してしまう」という中途半端な気持ちを持ち合わせていたため、弱音を吐くのは苦手だった。
しかし、初めて「目標に対する一定の努力をすることで、その目標は達成し得るため、掲げた目標に対して歯向かう行為は全て自身への裏切りである」という無価値な論理を捨てた。僕は僕を弱い人間だと認めた。
論理なんてどこにでも転がっている。論理でオリジナリティを出すことは非常に難易度が高い。論理だけでオンリーワンになることなど不可能に近いだろう。
代わりに、自分が20年間疎かにしていた、自らにしか湧かない「感情」「外界に対する価値観」を選択するようになった。
死にたくなった時、鬱状態が出ている時は論理が働いてしまい、自分を追い込んでしまっている。そういう時は、死にたさを書くことにした。写真を撮りに行くことにした。頭の中の爆発を外に出すことにした。外界に対する感度を爆上げすることにした。小さいコミュニティではあるもののの、SNSで言葉を書き始めた。instagramの裏アカで、数少ない友人の見ているところで言葉を書き始めた。
それはとにかく拙かった。幼かった。書いたものを読み返すことほど幻滅することはなかなかない。しょうがないことである。20年間論理で生きてきた人間だ。本も年に10冊読むか読まないか、映画も年に5個みるか見ないか、そして言葉にならないほどの挫折や別れを経験したことのない人間が突然感情を言葉で紡ぎ出しても、満足のいくものを生み出せるはずがなかった。もちろん、このNoteを書いている今も、とにかく読み返すのが苦しくてしょうがない。
しかし、それでも、僕の思いに共感してくれる人間がいた。応援してくれる人もいた。
感情を表に出すことは、大きな意味があることだと知った。
感情は人を孤独にする。
自分は自分以外の誰にもなれない。あの憧れの人間にも、好きな人にも。
誰かと、そこにある距離を限りなく0にしようとしても、突発的に突き放される瞬間が必ずある。
人間はまるでNとSと、その他無限大の極を持つ磁石のようだ。
ある一定の距離までは自由に近づいたり近づかなかったりすることができるが、相手の性質を把握した途端に不可逆的に突き放される。
しかし人生には、ほんの一瞬だけ、年に数十秒だけ、自分以外の人間と、自分が抱いている感情の海に一緒に浸ったような感覚に陥れる。心のどこかで、何か一点において騙されていると分かっていても、「このために人生を生きているんだ」と思える瞬間に、確かに出会える。ほんの刹那的な瞬間だが、それはある。
"ほんの一瞬だけでも、分かり合えたら"
『生きてるだけで、愛』のキャッチコピーより
その一瞬のために、僕らは叫び続けなければならない。
その一瞬を目の当たりにする度、気持ちは強く高揚する。
そしてそれを忘れる。また強く沈む。その繰り返しこそが人生だ。それこそ、その人をその人たらしめる、
"人生の浮き沈みの間でしか、自分の人生を認識できない"
F(@no_001_bxtxh)さんの言葉
言葉を少しずつ書き始めてから、何人かの友人は、僕に近づかなくなった。距離を置き始める人間が増えた。ほとんどの人はそうするであろう。
それでも、僕の形の不安定な声に耳を傾けてくれる人間が、ほんの少しではあるが、存在することを知った。
「いつも共感してます。」
「どんどん書け。」
「気持ちが軽くなりました。」
「書いてくれてありがとう。」
今まで憧れていた、対極でたくさんの花火を打ち上げるアーティストたちに少しだけ近づけられた気がした。
これは僕の挑戦である。僕自身に対する挑戦である。
言葉を書くたび、自分から生まれた言葉に嫌気が差し、deleteキーを押す。
出会ったアーティストたちの作る作品に対し、強く嫉妬する。
n-bunaさんのように、一瞬一瞬の情景や感情を、あの強さとベクトルで紡ぎ出したい。
ピコンさんのように、誰かを失って、「悲しい」なんて簡単な言葉では表せないような感情を抱いてみたい。
カンザキイオリさんのように、良質とは言えない家庭環境を経験し、傷だらけになってみたい。
川谷絵音さんのように、1人の女性をとにかく愛しても、それが実らないなんて失恋をしてみたい。
そんな不可能で邪で無意味な欲望が満たされない現実に叩きのめされ、悲しみでもない、虚無的な感情になる。
それでも僕は発信し続けなければならない。
どうせすぐ死ぬ命だ。いつか急に死は訪れる。死にたさはよく訪れる。
「自分以外の誰かにはなれない」「自分のことは結局自分しかわからない」「永遠なんて存在しない」
そんな当たり前なことを、当たり前に受け入れて人生を終えるほど、僕の人生は安くはない。
誰かに「君は孤独ではないかもな」「俺はここにいる」「君は可愛いな」「君の人生も尊い」と伝えるため。
99人に共感されず、疎ましく思われたとしても、1人の背中をさすることができればそれでいい。
なんて勢いのいいこと書いといて、憧れる作品を作ったアーティストのような、大きな傷を負う経験はしたことがないし、それを美しく紡ぎ出す言語能力も語彙もない。
どうせ365日中300日くらいは、21歳若造の自分の無力さに幻滅し、死にてえなと思っているんだ。弱い人間だなぁ。強くなりたい。
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