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『アスペル・カノジョ』(2)ネタバレあり感想

(画像、お借りしました。ありがとうございます。)

 ちょっと間が開きましたが『アスペル・カノジョ』2巻の感想文です。たぶん1巻の感想から続けて読む方がほとんどだと思うので、いろいろ説明は飛ばします。ネタバレだらけでだらだら感想書いてるだけです。例によって長文。1巻の感想文はこちら。↓

 1巻感想文でやたらわたしが福祉職ムーヴをかましたと思うんですが、あれは「常に自分がケアされる側・もしくはする側・どちらでもある・社会福祉において何らかの関係者である」ということ、そう感じた記憶から獲得したことが、本作の感想文を書くために必須だったから、この漫画は「現実を見るための作品」だと思ったからです。

 2巻を読んでしばらく、『アスペル・カノジョ』から距離を取りました。自分の精神状態に影響したからで、内容がよくなかったとかつまらなかったとかではありません。内容は、1巻の補完や周辺の人々の本格的な登場、展開の意外性もあってすごく面白かったです。まず全体の感想、そして順を追って。

 1巻の感想で言及したことに関して言えば、2巻では具体的な発達障がいについて説明が入りましたね。しかし、まず1巻で「◯◯(病気とか障がい)の人」と印象を植え付けるんじゃなく、斉藤さん、横井さんの人間性を描いているのが順序として非常に良かったです。本当に良かった。
 脱線しますが、セクシュアルマイノリティ系のイベントでも、自他のSOGIEについては質問したり話し合ったりする専用の時間をとらず、ただそういうひとたち・またはアライ(協力者)が集まって、料理して会食する、という趣旨のものが盛んになりつつありました。もちろん2019年以前です。それは、「私はこうで…」「あなたは…?」とかいった会話よりも、一般的に、普遍的な人間として、皆料理をし食べる存在である、ということをまず共有するためのイベントでした。例えば「アセクシャルです」「トランス女性です」といった情報ではなく、普遍的な生活営為を共有できると知る、そこから繋がっていこうという企画。将来、またそういったことができる社会・できる自分になったら関わりたい。

 感想に戻ります。
 斉藤さんは、フィクションのなかでは、救いのないひどい物語に安心する、そういう目に遭っている「自分みたいな」ひとが他にもいると思えて癒される、と言っていました。斉藤さんの漫画に対する「悲劇で癒される」感覚は、人によっては歪んでいると言うかもしれない。でも、好奇心から悪趣味なものを見たいわけじゃなく、同類を見つけられたら孤独を癒せるという、あまりに純粋な理由です。
 そういう動機で暗い漫画を読む斉藤さんが「主役」の漫画が、ハッピーエンドになるんだろうか。少なくとも、2巻では、フィクション作品として、斉藤さんは救われている。今のところそう見える。このまま救われてゆくんだろうか。彼女自身が幸せになる物語では救われないと言ったのに? それはつまり、本作の読者の一部にも「ひどい末路を望むひと」がいることを想定している証に他ならないのに? もう不安でたまらない。
 こういった漫画における登場人物の言動は、わたしのなかのリアリティラインが曖昧になります。いやいや、彼女は「現実的に」幸せになりたいはず。少なくとも、取り乱していない時は、自分自身のひどい結末なんて望んでいないはず。深呼吸。

 40p。ボロボロになってもぬいぐるみは捨てない、殴り続けられるために必要とされている、か。うー。いや、生きているものを殴るよりかはぜんぜんましです、良くないけど。わたしにとってはぬいぐるみも生き物同然というだけで。うー。けど、ふたりが生きていく上で納得できるなら良いことです。

 48pは癒されました。うー(さっきと違う意味の「うー」です。人間って他人に対する感情がコロコロ変わるもんですね)。とりあえずナデナデ、ふたりとも良かったですね。ずっとこのページを眺めていたい。

 51p。斉藤さん、ほとんど家を出ないか。いや、道程の様子が描かれていないけど本当によく鳥取から来たな。ここへ行くという明確な目的と詳細な位置情報があれば来れるのかな。それだけ下水星人さんの漫画に心を打たれて、感じるものがあったんだろう。ひとつの強い意志のままにほとんど着の身着のままで移動して知らない土地まで行ってしまう人(認知症の徘徊とかではなく)も身近に居る・居たし。斉藤さんはまさにそれっぽい。
 後の、住所特定のくだりを読んでも、自分の心の向かうものに対して直線でいくんだということが分かる。ただし、これは物語で、相手が横井さんという設定だから良かったものの、一般的には、むろん、怖がられる一因にはなってしまうよな。住所特定までの説明内容が、何度読んでも分からなかったです。1巻の感想文ではすっ飛ばしていたけど、知らない人の住所特定して突然押し掛けちゃだめですよやっぱり。

 たぶん、お見舞いのエピソードが2巻の中核ですかね。
 62-68p。分かってしまう。自己投影と自己嫌悪で直視できないです。勘弁してください。

 77-85p。清水さんによる、相馬さんを介した読者向けの台本を読むかのような説明。肉食獣だらけのサバンナに置き去りにされた赤ん坊が一本の大木を頼りにする比喩で描かれる依存心と不安の心。分かりやすいですね。性癖の一コマはほんと要らない。

 相馬さんいい人ですね。知らない他人に対しても想像力と配慮とがある。わたしはこういう人、すごく社会に必要とされるタイプのひとだなと思いました。そういう意味で劣等感を覚えた。嫌い、とまでは思わない。こういうタイプのひとに大いに助けられている。相馬さんタイプのひとは頼りにされるので、無理なさらぬよう、ご自愛ください。

 94-95p。斉藤さんの「違う」のなかにあった、いろいろな主張で気付かなかったことや、やっぱりそうかと頷ける点がいろいろあった。読んだ時はよく分からなかったけど銭湯の子どもは男児だったか、言われてみれば。髪掴まれていたよね、嫌だったよね。口達者な人間に自分だけ悪ものにされ優位をとられる屈辱、よく分かる。犬はそういえば放し飼いしてたな。確かにノーリードの中型犬(…かな?)が走ってきたら怖い。でも動物虐待や人を転ばせることはいけないことです。絶対。本人と周りとで対応してゆくしかない。
 横井さんの涙は初めて…いや、初めてではないが、こういった局面では初ですね。

 108-110p。横井さんの知らないところで、斉藤さんと近隣の人たちに「トラブルというほどでもないが、時々ちょっとなんかある」というのがリアルだなあ。スーパーの店員さんから困ったお客さん扱いされるという、「なんか」の程度がリアル。「奇異な人を見た」と言わんばかりの他人の表情、見覚えと共に胸が苦しくなります。

 その後の「横井に聞け!!」がうまく作用している描写も、彼らがいろいろと有形無形の積み重ねを試みていることが、きちんと表現されているなと思いました。
 同棲ではなく同居。微妙な、というか、名前のついていない関係を他人に説明するの難しいしめんどくさいよなあ、と自分は思う。

 ちょっと軽い感想も置いておきますか。

 114p、サラッと書いてるけど3時間も4時間も休憩なしはあかんて横井さん。早く完成させたいんだろうけど、あなたも事故ったりしたらどうするんですか(完全にお節介焼きである)。

 115p、現代的な示唆ですね。SNSやネットでハンドルネーム、クリエイターネームで呼ばれるほうが多いというのは。ここでまたも無関係な話ですが、ここ数年でそういう事例は増えたのではなかろうか。通話アプリや動画サイトなどで「つながる」手段が強固に構築されたおかげで、直接他人と合わない日々が続く。外に出ない人はますます出ない。そうでなくても本名に違和感があるのは自分もです。感覚は違うかもしれないけど。

 116-117p、チョコ噛まずに味わうの分かる。分かるよ斉藤さん! チロルチョコ好きなんだなあ、味わう表情がザ・至福という感じで好き。自分に分かる点をどんどん挙げていこう。どうせ斉藤さんに限らず他人を全部「分かる」なんて無理なのだ。あ、飴噛むのも分かるけど口の中切らないですか?(胸中で話しかけている)ていうかぐるぐるキャンディって懐かしい。

 118p、毎日三回以上シャワー、皮膚に異常をきたさないか心配である。清潔にしすぎても肌にはよくない。漫画だと皮膚の状態の表現ってあまりされないですよね。ほとんど、すべてと言っていいくらい肌がつるつるすべすべ。あってもそばかすとかくらい? あとは主に女性の肌荒れを取り上げて肌の状態を意図的に描写する時のみ、という感じ。それも、漫画表現で「無い」ことにされてるものの一種だと昔からなんとなく思ってはいます。

 121p、他人の日記って面白い。わたしは他人の日記はたいてい面白く読みます。面白く、楽しく、興味深く。つまらないと感じる日記は、そのつまらなさが何に由来するかを探すのが楽しい。斉藤さんの日記が横井さんにとって面白くて仕方ない、というのは、やはり知りたい人だから、というのも大きいのかも。

 第14話。高松さんとのお話。最初に書いておきますと、高松さんを一切否定しません。ただ、読んでいる間中、共感はできないし理解もできないしで置いてけぼりであった。悩みが深い。ベクトルが違いすぎてなにも言及できないです。ここまで違いすぎると、頭での「理解」はむしろもう実用性がなくて、具体的にどうしたらあなたの生きやすさに繋げることができますか、お菓子作りが好きなら気が紛れるように一緒に作りますか、とかそういう提案をしてゆくしかないなあ、自分が相手なら。

 136p、「汚くない」というきっぱりした斉藤さんの言葉。惨めじゃないし汚くない。いつもはっきり思ったことを口にする斉藤さんの言葉。高松さんには救いになったんじゃないだろうか。

 140-141p、斉藤さんと気恥ずかしそうに微笑む高松さんのやり取りが良い。まあ若干「そうは言われても」と困った感じにも捉えられたが。でもそんなこと言ってもらえたのは初めてなんじゃないだろうか。ふだんは、横井さん以外の他人に触れようとも近寄ろうともしない(店員が臭いレジは嫌だとまで言う)斉藤さんが、高松さんの手を取っている。少しばかりの友情を感じる。惨め、孤独、恐怖、と自己表現された高松さんの現状に、シンパシーを感じたのだろうか。

 とにかく高松さんも大変だな…と思いました。ベクトルは違えど、斉藤さんや横井さんと同様に悩みを(しかもめちゃくちゃ他人に相談しづらい)抱えている。ひとの悩みや苦しみは本当にさまざまにあるんだなと思わされる。現代の医療や科学では今のところ他人の感覚を理解し得ない(できたとしたって真実かは理解不能だ)が、それが救いなのか断絶なのか。

 15話への繋ぎ。144-146p。台詞なし。「サァァァァ」という雨の音が、漫画というか、空間の空気を表すのに効果を発揮していて巧いと思いました。

 で、この後。私感を表現するのが非常に非常に難しくて、どうかするとアウトなことを言っているように捉えられかねない。すごく言葉を選んだつもりです。

 えっと、きちんと書きます。端的に。望まない出産、中絶の意思はそれも他の選択肢と同様に尊重されるべきと思います。しかし「お腹を蹴って赤ちゃんを殺してください」には賛同できません。
 その上で、それ以外の斉藤さんの一連の発言には、概ね共感します。わかる(女性としてではなく女性身体持ちとして、だが)。
 158p、平手打ちと並んで共感度が振り切れて号泣したページ。これ以上書くことないのでそれだけ。これ以上は1,000文字以上の自分語りになっちゃう。

 160p、生まれたことを喜べない者として、ここも本当にモヤッとする箇所です。倫理的には、道徳的には、生まれたことを喜べるのが「正しい」みたいですね。考え方はなかなか変えられるものではない。直す? 間違ってない認識のどこをどう直す? ってなりますから。まあ、生まれた以上しゃーないので前向きに楽しく生きたい。斉藤さんも横井さんも他の人たちも少しでも気楽に生きられるようになってほしいです。基本的にはふたりは「楽しい」が増した生活のようなので、今のところ(2巻読了時点)よかった、と思っています。

 161pからの横井さんの「加勢」。流れ的に、横井さんは赤ちゃんについてはポジティブ寄りなんですね。自分が産むわけじゃないしね。…と言いたくなる。こうしたチクチク発言は「男性を自認し恋愛性的指向対象が女性であり結婚出産を望む男性」で出産育児を女性の領分と捉えている全員に言えることなので、あえて横井さんに突きつけるものではない。これが女性に対してだったらどうよ。男性にも圧力をかけるべきではないです。こういうこと言わないほうがいいですよの悪例(とはいえ、明らかに女性を軽んずる男性にはこれくらい言いたい心境ではある)。……脱線してる脱線してる。
 ただ、単に〈待つよ〉じゃなく、自分があなたの意見に同意するかもしれないし、逆かもしれないし、なんにせよ後悔しないための時間が必要(大意)と明言しているのは良いですね。まあ、横井さんの本心は〈待つよ〉なのかな、という感じはしますが。

 ぜんぜん内容に関係ない感想ですけどこの辺り、斉藤さんの顔面のアップが多いため眼鏡をしっかり描写してありますね。角度によってレンズとずれて見える眼の描写などがすごいなと思いました。

 176p。ああー。「俺しかいない」ってなっちゃった。他人(福祉支援なども含め)を介入させるとふたりの間に余計なものが割り入ってこじれるって思っちゃってるのでは。実際こじれるのかもしれんが、考え方としてそうなっちゃうものなのかなあ。いくら〈結論を保留するという結論〉にいたったとはいえ相互依存まっしぐらになりそう(もうなってて)ひやひやする。セックスへの共感や希望がまったくないので正直「理解」できない話なんですけど、一歩一歩を確かめながら進んでゆくふたりは応援したい。どんな決断に行きついても後悔しないでほしい。なんというか、人間としてそう願うだけです。

 184-188p。えっと直前の斉藤さんの描くイラストにも関心は惹かれるのだが、いいのか、住所特定テクを公開して。犯罪を描写する漫画ではよく思うのだけど。まあ今はネットでこういう方法も調べられるのか…?

 「まともに働くからこそ生じる人間のバグ」……。まともというのは、文脈的に「かなり高度」という意味合いかな。
 その後のページに続く、人間をまずデフォルメして認識する、というのもかなり高度。でも、けれど女性特有の勘の良さとは思いませんし、そうでないと知っています。1巻で下水星人さんのファンの性別を断定するのもちょっと違和感があった(結局真偽不明だが)。

 こうして読むと最初の5日間(1巻の出来事)序盤の横井さんのなんとお気楽なこと、まあ斉藤さんの事情を知る由もないから当然ではありますが。最初のお留守番で自殺しないだろうな、と彼は心配してましたが(この感覚は鋭い気がする)、最初はむしろ信頼も親愛も何もない関係だからある意味一番安全というか。依存度と互いの信頼関係が向上するにつれて、信じているからこそ、知っているからこそ、甘えが生じたり、記憶と交流の蓄積につれて関係の複雑さが増す、ということだろうか。もちろん、会話のレパートリーや生活に付随する楽しさも増えてゆくのだろうけれど。

 3巻の予告カットがとてもこわいのでポップに明るく締めます。
 斉藤さんは蛾が苦手で、横井さんはムカデが苦手。斉藤さんは飛ばない虫なら「行動」が読めるから平気だという。ほああ。えっ、じゃあでもこのふたり、ゴキブリは駄目じゃないか。あいつ飛ぶし。まあこのひとたちの部屋が不衛生になることはなさそうだし、ボロボロのアパートとはいえ…いや、まだ作中では夏が来ていない。(あれ? 半袖着てるから夏? 雨が降り続いていたから梅雨明けくらい?) わからんぞ。虫とファイトする漫画になるかもしれん。

 ラスト。だから、なんで1巻に続いて性的嗜好のネタで締めるんですか。まあ笑いました。笑いましたけど…。

 はあ、疲れました。面白かったですし大変示唆に富んだ漫画だと思いますが、非常に疲れました。
 読んでくださった方もお疲れ様でした。ありがとうございました。ちょっと間が開くと思いますが、3巻に続きます。

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