あのときがあったから…
ひょんなことから、相田みつをさんの「いちずに一本道 いちずに一ッ事」という本をもらった。日本語の本は貴重だから、ありがたく受け取って、早速読んでみた。
「にんげんだもの」くらいしか知らなかったが、相田みつをさんの生き方・人となり、大切にしているもの、詩や作品などが写真付きで丁寧に書かれていて、気付いたら一気に読んでしまった。
詩の中でも「肥料」は何度も何度も心で読んだ。すーっと、まるで「言葉の肥料」のように、いまの私の心に沁みた。
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15歳。高校受験に失敗し、その直後に引っ越しもした。中学時代の友達が笑顔で希望校に通う中、新しい土地では知り合いもおらず、よりによって高校は英語コースという特殊なクラスに入ることになった。
中学時代の仲良しの中で、受験に失敗したのは私だけ。新しい制服を嬉しそうに着て、輝く昔の友達とは なんだかもう顔が合わせられなかった。
高校は、最初はすごく辛かった。日本の東京だったけれど、クラスメイトは帰国子女や様々なバックグラウンドの子が来ていて、先生たちも色々な国から来ていた。
校内放送や、先生を呼ぶための職員室のインターフォンも、もちろん英語。公立中学校で”This is a pen.”から始まった英語初級者が、いきなりネイティブスピーカーたちの中に放り込まれたような感覚。
英語ディベートクラスでは、アメリカ人の先生が自己紹介をしてくれたけれど、いきなり両親がDivorceしたという話から始まって、Divorce(離婚)という単語が分からない私は「???」…そこから話が頭に全く入ってこなくなった。
恥ずかしいけれど、分からないままにもしたくないので、授業の後に日本語で友達に聞くと「あ、そんなことか!離婚の話ね!」と言われて、自分だけ分からなかったんだな…とさらにショックを受ける。先生たちに英語で思いを伝えようとしても、発音が悪くて伝わらない…もっと声が小さくなる…。
最初こそ、たくさん悔しい思いもしたけれど、今でも仲良くしてくれる素敵な仲間や、本当に教えることを楽しんでいる熱心な先生たちに出会えて、卒業する頃には、英文科に進学しようと思うほど英語を使う楽しさの虜になっていた。そして意地悪な帰国子女に英語の成績で勝った時は、「努力は報われるんだなぁ!」と実感できた。色々な国で生活してきたクラスメイトと出会って、海外の学校の様子を直接聴いたり、流行りの洋楽を教えてもらってカラオケで歌ったりしたのも、本当に毎日いい刺激になった。
もし、第一希望の高校に通っていたら、いま海外で働くという選択肢もなかったかもしれない。いまとなっては、あの時・あの経験は私を生きるための「肥料」だったんだと思う。
遠く離れた家族にも、一刻も早く会いに行きたいけれど、コロナで外出自粛は未だに続いているし、いつまでそれが続くかは誰にも分からない。もしかしたら、この先なにか辛いことが待っているかもしれない。でも、この大変な時期や苦しい時を「肥料」と考えることで、そんな時間を少しは気楽に受け止めて過ごせそうな気がする。そんなことに気付かせてくれた、本との出合いだった。
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