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“ほんもの”に触れる

ネイティブ・アメリカンのシャイアン族に伝わるメディスン・ストーリーに『ジャンピング・マウス』があります。
北山耕平さんによって物語が翻訳・出版された際、目白の古民家でストーリーテリングの会「風をひらく 2nd. Circle」が行われていました。
それはちょうど、「チベット砂曼荼羅の世界」へと足繁く通っていた、2005年7月8日のことでした。

ケルトの民と同様、ベーリング海峡からアメリカ大陸へと渡ったり、太平洋を航海してポリネシアへ辿り着いたりした先住民族に、不思議と惹かれています。
そのため、このストーリーテリングの会を知ったとき、「これは行かねば!」と思ったのですね。

これが衝撃的なくらいによかった! 感動した!!

この物語は、本当の自分を知るために旅に出た1匹の野ネズミが主人公です。
ネイティブ・アメリカンのシャイアン族には「自分自身のすべてを大いなるものに与えること、捧げ尽くすことで、自分を高めることができ、自分は何者なのかを知るのだ」という教えがあります。
その伝統的な教えを語り継ぐ物語として、この『ジャンピング・マウス』が生まれたそうです。

ストーリーテリングが始まる前に、翻訳者の北山耕平さんが、このような話をされました。

100%ネイティブの人たちは、自分たちが何世代も語り継いできた物語を、他の部族・民族に知られたくないと思っています。
なぜなら、これらの物語には、自分たちの部族の誇りや価値観、伝統的な生き方がさまざまなシンボルとして描かれているから。
土地を奪われ、部族の聖地を奪われた彼らにとって、これらの物語が流出するのは彼らの心までも奪われてしまうことを意味するのです。
ネイティブの人たちにとって“おはなし”を語り、聴くことは、生きるための知恵を学ぶ場であり、とても重要なものとされています。
何世代もの間、語り継がれてきた物語というのは、語られることによって言葉が生きてくるのです。
ところが、文字になると、言葉は死んでしまいます。
語り部が年老いて亡くなってしまうのと同時に、物語が文字になり本になることで、ネイティブの人々の記憶から、こういった重要な“おはなし”が失われつつあります。
今、ネイティブの中でも混血がどんどん進んでいて、あと数十年したら、100%ネイティブの人はいなくなるでしょう。
混血の人々が、後世に残そうとして物語を文字に表しはじめ、そのことによって私達はこうして日本語訳の物語を手にすることができるけれど、実は非常に矛盾を抱えた、ネイティブの人たちにとっては深刻な問題でもあるのです。

このような内容だったように記憶しているのですが(記憶違いだったらすみません……汗)、私は、北山さんの話を、いつしかアイルランドと重ね合わせて聴いていました。
アイルランドにも“おはなし”文化があるのです。
みんなで集って“おはなし”をするときには杖が用意され、その杖を持った者が必ず何かのお話をしなければならない……というルールがあるのを、テレビの番組だったと思うのですが、見たことがありました。
そして、今やアイルランドでも、そういった昔の伝統が失われつつあるのです。

本当に大切なもの、本質を表すものを後世に伝えたいならば、目に見えないものを、しかるべき形できちんと残していかなければならない……と、何となく思いました。

そんなことを思いつつ、『ジャンピング・マウス』の物語に引き込まれていく私。
目を閉じて、ストーリーテラーの古屋和子さんの語りと、のなかかつみさんによるインディアンフルートや太鼓の音色にじっと耳を傾けていると、自分の頭の中で、イメージが大きく色鮮やかに展開されるのを感じます。
文字を目で追う必要がなく、さし絵でイメージを制限されることもありません。
自分の思うままに、自由に自分だけの物語の世界を創り上げることができるのです。
そして、会場の古民家の雰囲気、静かに降る雨の音、頬をなでるひんやりとした風……。
これらも物語の舞台装置として、イメージの世界を盛り上げます。
この“生きている”物語の体験は、読書では決して得られるものではありません。

本というものは、知識を蓄えておくものとして重宝するけれど、一方では、人の持つ創造力を制限してしまうことになるのではないか。
文字にすることで、その言葉が本来持つ働きを封じ込めてしまうのではないか。
……などと、本に携わる者として、いろいろ考えさせられました。

で、結果として思うのは、語られる物語を“おはなし”として体験したうえで、本を手にするのがいい、ということ。
これは砂曼荼羅でもそうだし、音楽でもそうだと思うのですが、やはりその場でしか味わえない何かがあるのです。
それを体験して、自分の細胞の中に記憶としてインプットしておけば、本や写真集、CDを手にしたときに、その場で感じた臨場感を、記憶をたどって自分の中で再現することができるのです。

物語でも映画でも音楽でも何でも、原点にあたるものからまず触れるようにすることが、“ほんもの”を知るためには大切なんだな……と思いました。

そんなわけで。
『ジャンピング・マウス』の物語は、とても素晴らしいものだけれど、その魅力を本当に知りたいのならば、本を読む前にお話を聴くことをオススメします。

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planet*plant | Akiko Kimura (joker)
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