完ぺきなカラダ
まったく違う世界を生きてきた人たちが。
それぞれにその体験を話し、互いがその全く知らない世界のことを知る機会を得る―――
これって凄くおもしろい事だと思ったし、感動でしかないと思った。
・・・
「俺は、”凝る”っていうものを知らなかったんだけど、確かにこうやって触って行って…”あー、これか…これが”凝っている”状態なんだ、って知ったんだよ。そしてこうやっているとそれがちゃんと消えてくの…。そんな事知りもしないし分からなかったから」
退院日初日。足を前に伸ばして座りながら、自分の右太ももを手で軽くマッサージする様に滑らせている主人がそう言った。そして左も同じように、「この右足を触っているだけでは分からない」という自分の感触を伝えながら、「初めて凝った状態を知った」と言っていた。リハビリで教わったらしい。
主人同様、私も肩の凝りなど実感したことがない。ただそれは、その「凝る」という状態がどういうものなのか、どういった事を言っているのか、という事の基本を知らずに、「自分の常にある”この状態”を、”普通”と思ってしまっているだけで、凝った状態を抱えている」という可能性はあるね、という話をしていた。
主人の病院で(リハビリで)経験してきた事は、私にとって非常におもしろく興味深い話で、リハの先生が言ってたという言葉を時々挟みながら体験話をするそれにグイグイ引き込まれた。
『私が全然知らない体験ばかりだから、そういう話がすごく面白い。教わった事、私にどんどん言って(*^^*)』
動きながら自然と、これをやって来た、こういう事なんだって…、という事で説明をポツポツしてくれるので分かりやすかった。
「こんな事考えもしなかったし…、やらない事ばかりだからあちこちイテェイテェ…もう汗だくになってやったよ(笑)」
この病院に現在入院中の患者の中で、主人の位置の人はやはり”異質”だったので、他の人のリハビリとはまったく違うという。リハ室でひとり「ン゛ーーッ!」と声を出しながらトレーニングする人は、誰もいなかったという、、筋トレはかなりハードだったらしい。
そしてそれに対応するリハの先生たち。当然ながら身体の仕組みをよく知っているので、「こうすればこうなる」という事から、どこを何をどうすれば良いという事が分かるという話に感動したのは、主人だけでなくそれを聞かせてもらった私も同じだった…すごいなと思った。
聞いているメニューの中には、”小学校の時に教わったなぁ”というものがあって。ミニバスをやっていた時にそうすると良いよと、先生が自主トレに簡単な運動を教えてくれてたものもあった。
主人の話とその動きを見ていると、「全身」を指先~つま先までよく動かしていると感じていて、人は身体の隅々までを動かさずに生きてるね…と笑った。そしてその事は、そうする事によってただ鍛えているだけでなく情報がみんな繋がっていくんだろう…と思っていた。
ーー翌朝ーー
ワン達のご飯も済ませ。人の朝食の用意となり、台所で別々の動きをしていた時、主人がたまにやる動作が気になりちょっと聞いてみた…。
『痛いの?結構そうやってる…』
臀部を手でマッサージするような仕草から、やはりコリの話になり。私は、特に「今のところ痛い所はない」という話をした…、凝っていると自覚する場所としては「ない」と答えた。
肩に手を置いて、初めの2~3度揉まれた時、「あ~気持ち良い」という言葉が出た。主人は「あぁ…、やっぱりこれだ」と他者の身体でそんな事をすることもなければ、”通常”も”コリ”も解からず、私のその言葉が主人の中の感触と結びつき「やっぱりこれだ」と結びつく。
そしてそのまま少しやってもらう中で、私が感じていたのは、”気持ち良い”という表現のところは、「一瞬・軽く力が抜けるというか、少し鳥肌が立つかのような、寒気(みたいなもの)を感じるという」、そんな感触だと伝えた。
少しの間継続してもらう中で、何度か場所によりその感触を実感し、後に「うん、なくなった…」と、主人が初めに感じたコリが消えている事を教えてくれた。
『すごいねぇ。今まで凝ってるなんて思ったこともなかったけど、その状態を知らなかったんだね(笑)こうやって”その事”を知らずに「普通」だと思ってこの身体を人は使っているってことか…、それもすごい事だねぇ(^-^;』
痛い、不快などの自覚できる状態があれば、自ら何かおかしいことは分かるのだけど。殆どの状態は、そこに行かない状態で当たり前に「普通である」という認識で日々過ごし、身体を使っている。
そんな事から、「人って全然カラダを使って生きてないってことなんだね。この全身というものを使って生きたら、人の能力ってもの凄いものなんだと思う…」と感じたことを主人に伝えた。
『これが、色んなカラダを触ってその手で分かってしまう人達って、ほんとにすごいよね(*_*)』
そこにある状態を、この手で読み取れる―――、それってやっぱり凄いよなぁという感動と、身体を使うことの神秘に触れて夫婦そろって感激していた。